「文藝春秋」2011年新年特別号「特別企画 弔辞」

「文藝春秋」2011年新年特別号は「特別企画 弔辞」が掲載されている。「文藝春秋」を買ったのは40年間で5回もなかっただろう。しかし弔辞を読むのが好きなのだ。本誌480ページのうち弔辞の記事は94ページ、それで不要な400ページ近くを破いて捨てた。残ったページに改めて表紙を貼り付けた。それがこの手頃な「文藝春秋」だ。

 初めて追悼文をまとめたのは中公新書か何かだったように思う。30年ほど前ではなかったか。それからいろいろな追悼文集が企画された。巧いなと思ったのは、嵐山光三郎の「追悼の達人」(新潮文庫)だった。これはそれまでの追悼文のアンソロジーと違って、一人の故人に対する複数の人たちの追悼文を編集して、その故人が回りの人たちからどのように見られていたかを浮かび上がらせた。
 さて「文藝春秋」の追悼企画であるが、45人が追悼されている。主に告別式やお別れ会で読み上げられたものだ。
 赤塚不二夫へはタモリが弔辞を読んでいる。

私は人生で初めて読む弔辞が、あなたへのものとは夢想だにしませんでした。(中略)私も、あなたの数多くの作品の一つです。合掌。

 北村和夫今村昌平を悼んでいる。

イマヘイ! 今平!
イマヘイ! イマヘイ!
今平! イマヘイ……
イマヘイさんよ。
(中略)
君この盃を
うけてくれ
どうぞなみなみと
つがせておくれ
花に嵐の
たとえもあるぞ
サヨナラだけが人生だ

 保守の佐藤優が左翼の米原万里への弔辞を読んでいる。エロ作家の渡辺淳一経済小説城山三郎の弔辞を書いている。岸谷五朗本田美奈子への弔辞は拙いが亡くなったのを悲しんでいることがよく分かる。北林谷栄への黒井千次の弔辞はさすが作家の文章だ。木村拓哉への原辰徳の弔辞には原の誠実さがよく現れている。小泉純一郎橋本龍太郎への弔辞を読んでいるが、総理が元総理を追悼するとこんな風に儀式張ってしまうのは仕方ないことだろう。北方謙三立松和平への弔辞も良い。二人は若いときからの友人だったのだ。馬主の小栗孝一からサラブレッドのオグリキャップへの弔辞も良かった。柳家小さんの初七日の法要が終わった後の柳家小三治の挨拶も良かった。小さんの「お骨がゴツゴツゴリゴリして、太くて、かけらにならない、あのままスープが取れそうな立派なお骨でございました」。井上ひさしに対する大江健三郎の弔辞も立派だ。
 いや良いものを列挙したが、おざなりっぽいものも、儀礼的なのもあった。読んでいて涙腺がゆるんだのもあった。追悼文が好きでいろいろ読んできた。やはり作家に対するものが多かった。この「文藝春秋」では社会的に広い階層から選ばれている。そういう意味では追悼のレベルは総じて高いとは言えなかった。


文藝春秋 2011年 01月号 [雑誌]

文藝春秋 2011年 01月号 [雑誌]

追悼の達人 (新潮文庫)

追悼の達人 (新潮文庫)