「最後の瞬間のすごく大きな変化」を読んで

 グレイス・ペイリー「最後の瞬間のすごく大きな変化」(文春文庫)を読んだ。タイトルから何だか下品な話じゃないかと敬遠していたが、訳者が村上春樹だったので買ってみることにした。17篇が収録された短篇集だ。作家自身をモデルにしたとおぼしいユダヤ系の中年女性を主人公にしたものが多い。ややこしい人間関係が描かれていたりして、好きな作家とは言いかねた。しかし、村上春樹のあとがきによると、

 グレイス・ペイリーは現存している中で、もっとも留保のない敬意を受けているアメリカ人作家の一人であると言って、間違いないと思う。この人にはとくに熱狂的な女性読者が数多くついている。僕(村上)は数年前に一度、ニューヨークのマンハッタンでおこなわれた彼女の朗読会を聴きにいったことがあるのだが、広い会場はぎっしりと満員で、その聴衆のほとんどは女性だった。年齢はまちまちで、20歳くらいの女子学生から、おばあさんまで、さまざまな年代に属する女性が会場につめかけていた。かなりの熱気である。

 この二つの流れ(ベイリー自身をモデルにしたフェイスという中年女性が主人公になっているものと、「同時代的民間伝承」というべき系譜の作品=引用者注)がうまくブレンドされ、ペイリーの独自にして不思議な世界がかたちづくられているわけだが、これはまことにオリジナルというか、とにかくペイリーにしかつくれない世界であり、ペイリーにしか書けない文章である。文学理論や文芸ファッションとは100パーセント無縁である。この世界とこの文章が、誰にでもすらりと受け入れられるとは思わないが(言うまでもなく、それにはいささかの顎の強さが必要とされる)、受け入れることのできる読者には、きっと強く深く受け入れられることだろう。

 おそらく私の顎がやわなのだろう。本文中、興味深い一節があった。

 彼はじいっとアンナの顔を見た。アンナは性格は最悪だけれど、美人だ。彼女がどれくらいひどい人間かを知るためには、一人の夫はだいたい2年を必要とする。しかし平均的な通りがかりの人や、何かを答える人や、何かを尋ねる人が、彼女のことを美人であると認知するにはたった30秒しかかからない。

 タイトルはちっともいやらしい意味なんかではなかった。主人公が書いたエッセイから採られている。

 若者たち! 若者たち! 彼らの頭上にはいくつもの恐ろしいトラブルがのしかかっている。たとえば彼らの周知の世界は爆弾によって、瞬時に究極的な終末へと向かう。あるいはまた自然資源は、徐々に無反省に破壊されていく。それでも彼らは現在のところ、まだオプティミスティックであり、ユーモアを失わず、勇敢である。そうなんだ、彼らは最後の瞬間のすごく大きな変化をもくろんでいるのだ。