「場末の酒場、ひとり飲み」はお勧め

 藤木TDCという変わった名前のフリーライターの書いた「場末の酒場、ひとり飲み」(ちくま新書)が面白かった。著者は東京の場末を尋ね歩いて寂れた酒場を探して入って飲む。客の多い飲み屋は避けるという。
 紹介される場末酒場は、東京の西端近い西八王子の北口駅前。東京の東端である江戸川近くの瑞江、近くに地下鉄都営新宿線瑞江駅がある。北端では日暮里舎人ライナーの舎人駅近い尾久橋通り沿い。鶯谷駅南口の立体交差道路の下。錦糸町花壇街。日暮里駅北口初音小路。東武伊勢崎線鐘ヶ淵駅商店街。

 鐘ヶ淵通りが「煮込み街道」などと異名をとるのは、鐘ヶ淵駅から京成押上線八広駅まで鐘ヶ淵通りを歩く間に、非常にレベルの高いもつ煮込みやもつ焼きを供する店が並んでいるからだ。
 ざっと挙げるだけでも「和楽」「三河屋」「丸好酒場」などがあり、さらにその水準の店は南では東向島、京島方面へも広がり、八広から北、荒川を超えればそこには都内でも1、2を競うもつ料理の人気店「うち多”」や「江戸っ子」のある京成立石がある。
 この地域はなぜこのように、煮込みやもつ焼きのレベルが高いのか。
 解答のひとつとして、八広や立石もまた町工場が多く残る一帯であり、伝統的に多くの工場労働者が居酒屋の客としてもつの味を吟味した、それゆえに食材も調理法も洗練され成熟して名店が地域に集中した−−そのような解釈もできる。
 しかし、もう少し違う切り口で、歴史的かつドラスティックな解釈をするならば、鐘ヶ淵、八広、立石などの一帯は、背景地にかつて屠場が立地していた歴史があり、それゆえに新鮮で質の良いもつ=内臓が供給されるルートを維持している、という要素もある。

 城南地区では大田区の梅屋敷、雑色、六郷土手などを取り上げている。ついで筆者得意の色町の飲み屋が語られる。最初に大塚三業地、ここの大衆割烹「一松」に入る。「ビールを注文し、つまみはおでん。このおでんが実に素晴らしく、大衆食堂の域を完全に越えた一品だった。それもそのはず、「一松」は新富町で威容を誇った老舗料亭、「松し満」の流れをくむお店、出汁も違うしネタも違う」。「鄙びた印象の通りだが、お店の人々のもてなしは厚く、粋人の隠れ里的な風情があるのがこの三業通りだ」。
 次は門前仲町の辰己新道、ビルとビルの間の飲み屋横町。色街跡の闇市だったがリフォームされてきれいになっている。
 それから浅草三丁目と四丁目。根岸の柳通り。昔の玉ノ井、いま東向島も紹介される。
 第五章は「今はなき場末酒場」として、池袋・人世横町、新宿・彦左小路、阿佐ヶ谷の細道、中野四十五番街がじっくり語られる。そうだったのか。阿佐ヶ谷に関して言えば、一番街は戦後すぐの頃は湿地帯だったと北口で生まれ育った人が教えてくれた。
 最後の章が「場末酒場の流儀」、ひとりで平日の早い時間に飲むとある。酒場を選ぶときは古い店を選ぶ。「建物が古いまま営業している店は、改築のための経費をかけなくてもお客さんが来るから古い状態で続けていられると考えられるのである」。

 だから筆者が誰かに「どういう店に入ればいいですか」と聞かれた時に、もっとも端的な返答としているのは「並んでいるお店の中で、いちばん古そうに見える店に入るといいですよ」だ。

 場末の酒場へひとりで入ってみようか。

場末の酒場、ひとり飲み (ちくま新書)

場末の酒場、ひとり飲み (ちくま新書)