ドナルド・キーン「私の大事な場所」を読む楽しみ

 ドナルド・キーンの本を初めて読んだ。どうしてもっと早くから読まなかったのだろう。ドナルド・キーンを読むことが楽しいのは、日本のことが好意的に書かれているせいもあるかもしれない。しかし、それよりも彼の思考がポジティブなためだろう。ポジティブな人の話は聞いていても読んでも楽しいのだ。本書は新聞や雑誌に書かれたエッセイをまとめたもの。日本で友情に恵まれたことがドナルド・キーンを作ったとも言えるようだ。さて、本書の特に興味深かったエピソードをいくつか紹介する。

 ソ連に旅行する機会があってそこの日本研究の状態を見た。レニングラードで日本文学の教授に会った。私と違い、ソ連の日本研究家は好きな時に日本へ行けなかった。50歳位の教授は1回しか日本へ行ったことがなかった。団体の通訳だったので見物などはできなかったが、ある朝団体の用事がなかったために一人で自由に東京を歩くことができた。この3、4時間を一生忘れられないと教授は語った。

 日本にいる外国人は日本人が自分たちをあまり家に招かないとよく言う。私は幸運にも多くの作家から自宅へ招かれた。一番忘れ難いのは、永井荷風の家だ。(中央公論の)嶋中さんが荷風に会う時に私を同伴したのである。市川に向かい、狭まった道路を歩くと表札もなく目立たないお宅に着く。私たちは女中らしい人に案内されて中へ通された。日本人はよく「家は汚いですが」と謙遜しても実は大変清潔であるが、荷風の部屋は腰を下ろすと埃が舞い立った。荷風は間もなく現れたが、前歯は抜け、ズボンのボタンも外れたままの薄汚い老人そのものだった。ところが話し出した日本語の美しさは驚嘆するほどで、感激の余り家の汚さなど忘れてしまった。こんな綺麗な日本語を話せたらどれほど仕合わせだろうと思った。

 ドナルド・キーンは多くの作家に会っている。その彼が驚嘆するほど荷風の日本語は美しかった。荷風を読まねばなるまい。また、ドナルド・キーン明治天皇の伝記を書いているという。

 天皇の食生活については詳しく書かれたものがあります。明治天皇は刺身が大嫌いで絶対に食べませんでした。また京都人らしく、海の魚を嫌って川魚でなければ食べませんでした。風呂は嫌いで、夏以外入らないことにしていました。花見も大嫌いで、何か口実をもうけては避けていたのです。

 日本画が好きで洋画には興味がないこと、電気も大嫌いで宮殿では蝋燭を使っていたこと、ダイヤモンドの指輪が大好きだったことも書かれている。

(マリア・)カラスの声を初めて聴いたのはロンドンのコヴェント・ガーデンだった。オペラを何百回聴いたかもう数えられないが、最も感動したのはあの時の『ノルマ』だった。(中略)
 もう一つの舞台も忘れられない。旧メト(メトロポリンタン歌劇場)の『トスカ』であった。第1幕に登場する前にトスカが舞台裏から愛人の名前を数回呼ぶ。続いて下手のドアから入るが、瞬間的に戸の枠に立ち止まる。カラスは動かなかった。表情は変わらず、ゼスチュアはなかった。ただ存在した。この存在のために歌劇場が建てられ、聴衆もお金を惜しまなかった。これが私の空間でもあった。

 私もたまにいろんな作曲家の「狂乱の場」を聴くが、カラス以上の歌手はいないのではないかと数少ない経験ながらそう思うのだ。
「私の大事な場所」はとにかく面白かったが、小さな不満が二つある。まず題名が良くないこと、この題名ではこの本の面白さが伝わらないだろう。もう一つの不満は、文庫本で269ページしかないこと。400ページくらいあれば良かったのに。いや、これから「百代の過客」や「声の残り」「明治天皇」が読めるのだ。楽しみは限りない。


私の大事な場所 (中公文庫)

私の大事な場所 (中公文庫)