奇書「教養としての官能小説案内」

 永田守弘「教養としての官能小説案内」(ちくま新書)が奇妙で興味深い。カバーの惹句から、

 美少女から人妻、熟女、女教師、くノ一に尼僧。少年ものに性豪もの。凌辱系から癒し系まで−−官能小説の世界は、欲深い読者たちの嗜好に応じて多種多様なジャンルの作品が淫らに咲きほこっている。人びとの想像力を喚起し股間を刺激するために……。こうした百花撩乱の表現世界は、いかにして形成され成熟したのか。本書では、戦後の官能小説史を丹念にたどり、一時代を築いた優れた作家たちの名作と、彼らが骨身を削って生み出した表現技法を紹介しながら、この秘密に迫る。

 初めに歴史が語られる。戦後に猥褻文書であると判決が下された伊藤整訳の「チャタレイ夫人の恋人」について、問題の部分を

 ここでは、下巻のなかでも、メラーズとチャタレイ夫人の性交シーンがとくに生々しく描きこまれている箇所から、ごく一部を引用しておこう。

 強く無慈悲に彼が彼女のなかに入るとその不思議な怖ろしい感じに彼女は再び身震いした。彼女の柔く開いた肉體に入って来るものが剣の一刺しであったならばそれは彼女を殺したらう。彼女は突然激しい恐怖に襲はれてしがみついた。しかしそれは、太初に世界を造った重たい原始的な優しさであり、安らぎの入って来る不思議な感じ、秘密な安らぎの侵入であった。そして彼女の胸の中の恐怖が鎮まった。彼女の胸は安らぎの中に身を委せた。

 ここはもちろん裁判で「猥褻」と指摘された部分である。どういう読み方をすればこれが「猥褻」にあたるのか、いまではわからない読者がほとんどだろう。
 だが、こうした時代的な制約が長く残ったため、官能作家たちは、それに適応する必要に迫られた。そのため、官能表現は、暗喩やオノマトペを多用するなど、いやおうなく抑制された隠微さを追求していくことになり、それがかえって豊潤な多様性への模索につながったのである。

 戦後日本の官能小説の作家が一人一人紹介され、そのさわりが掲載される。まさに官能小説のマニエリスムのオンパレードだ。
 まず北原武夫が登場し、川上宗薫が続く。川上の作品では「男は女体を楽しみながら、性技を発揮して、女を絶頂に導く。それによって女が悶えまくり、あげくに絶頂をきわめて失神する情景が特徴的に描かれたので、「失神派」と呼ばれることもあった。」
 富島健夫は青春ポルノといわれた。宇野鴻一郎は「女子社員や若妻など、女を主人公とした作品を一人称の文体で描く」のが特徴だ。赤松光夫は「尼僧もの」がお家芸のようにいわれる。泉大八は労働者文学から始めたが「痴漢派」として人気になった。
 このように、勝目梓、豊田行二、松本孝、館淳一らが、その特徴と共に紹介される。なんて詳しいのだろう! 永田はいったいどんなにたくさんの官能小説を読んでいるんだ。年間300冊だという。
 さまざまな作品が紹介されている。それらの中で私が読んでみたいと思った作品は「癒し系の名手・内藤みか」だった。

 結婚、離婚、育児といったみずからの実生活を書いた『奥さまは官能小説家』(幻冬舎文庫)など、自身の日常を隠すことなく打ち明けた本のほか、……

 これを読んでみよう。

教養としての官能小説案内 (ちくま新書)

教養としての官能小説案内 (ちくま新書)