「履歴書は手書きで」の不可解さ?

 8月12日の朝日新聞投書欄に「『履歴書は手書きで』の不可解さ」と題する投書が載った。投稿者は47歳、無職の男性。

 世の中不景気と言われ続ける中、6月に体調を崩して退職し、現在、就職活動中の身です。工場の作業者として自分なりにがんばってきたつもりですし、会社を取り巻く状況も理解していたつもりでしたが、再就職の現実は厳しいと感じています。
 ただ、就活で疑問なのは、「パソコン、ワープロで作成してはだめ」「誤記は日付であっても修正液を使ってはダメ」という履歴書についての「常識」です。(中略)
 そもそもパソコン、ワープロは文書の訂正ができ、誰の文書でも読みやすいなどの利点があり、企業が言う合理化、効率化に沿って普及したものだと思います。私のように字があまりうまくない人間にとってはありがたい存在です。それなのに「履歴書は手書きで」を常識とすることは、求職者の人間性や経験などの中身より、手書きしたという入社のためだけの形式的な誠意を重視する行為ではないでしょうか。きれいな手書きでも代書の場合があります。入社後、それが発覚したら、採用取り消しになるのでしょうか。(後略)

 私も先年失職したあと、ハローワークや新聞の求人欄を見て1年半ばかりの間に70通以上の履歴書を書いて提出してきた。それをすべて手書きしたからなかなか大変だった。この人の主張も分からないではない。しかし私は以前企業の採用担当も経験した。その経験から言えば、手書きは必要なことなのだ。手書き文字からは書いた人の性格が読みとれるからだ。雑な文字、乱暴な文字、繊細な文字、几帳面な文字、気取った文字、これくらいは私にも分かった。慣れればもっと多くのことが文字から読みとれるだろう。
「複製技術時代の芸術」(晶文社)を書いたドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンは、大学卒業後思わしい仕事が見つからなかったため、筆跡鑑定と古書の背取りで生活費を稼いだのだと聞いた。背取りというのはWikipediaによれば、

せどり(「競取り(糶取り)」、または「背取り」)とは、『同業者の中間に立って品物を取り次ぎ、その手数料を取ること。また、それを業とする人(三省堂 大辞林より)』を指すが、一般的には古本用語を元にした「掘り出し物を転売して利ざやを稼ぐ」商行為を指す言葉。

 古書店の棚から、実は価値があるが安い古本(掘り出し物)を見つけて、高く買ってくれる古書店に転売することだ。それはともかく、戦前のドイツで筆跡鑑定で収入が得られたのだ。手書き文字が重要なことの証明ではないか。