四方田犬彦「『七人の侍』と現代」はお勧め

 四方田犬彦「『七人の侍』と現代」(岩波新書)がすばらしい。四方田犬彦明治学院大学で映画史を教えている。四方田にとって黒澤は偉大だが過去の映画監督だった。そう思っていたが、パレスチナユーゴスラビアへ文化交流使として行ったとき、黒澤の映画が「けっして古典的な名作などではなく、同時代の苛酷な状況を理解する認識の鍵として機能していることを知った。」
 四方田は黒澤の「七人の侍」が世界の映画界で一つのジャンル=原型になっていると言う。そして「七人の侍」の原型をなしている物語要素を要約する。

1.圧倒的な敵の脅威に晒されている脆弱な共同体が存在する。
2.共同体を支援するために、外部から助っ人が駆り集められる。
3.助っ人たちはそれぞれに無用な人である。彼らは強烈な個性をもち、世界の周縁に貶められて生きている。彼らを組織することはけっして容易ではないが、やがて卓抜なる指導者のもとに全員が纏まる。すると全体として超人的な能力が発揮される。
4.激しい戦闘の後、助っ人たちは敵を敗北へと導き、共同体を守り抜く。
5.生き延びた助っ人たちは、死んだ同胞のための喪に服す。

 この「七人の侍」ジャンルは、まずジョン・スタージェスの「荒野の七人」、マルコ・ヴィッカリオの「黄金の七人」、胡金銓の「忠烈図」、王童の「策馬入林」、李長鎬の「イチャンホの外人球団」、周防正行の「シコふんじゃった」、トンコントーンの「アタック・ナンバーハーフ」、周星馳の「少林サッカー」、ゴーワーリーカルの「ラカーン」、そして「美少女戦士セーラームーン」までもこのジャンルに入れられる。
 黒澤は「七人の侍」を撮るまでに、「姿三四郎」とその続編という2本のアクション映画と、「虎の尾を踏む男達」と「羅生門」という2本の時代劇を監督している。ついで、マキノ雅弘の「殺陣師段平」と森一生の「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」の脚本を書いている。そして黒澤は「七人の侍」で殺陣ではなく現実の武術の型を映画に取り入れる。「七人の侍」が時代劇の歴史のなかで革命的な役割を果したとすれば、その一つの要因は戦闘場面における斬新な演出にあると四方田は書く。
 ついで七人の侍の個々人が詳しく紹介される。実はこれこそが本書の白眉なのだ。さらに当時(戦国時代)の歴史が分析される。全く見事な映画論だ。「七人の侍」論で本書以上のものは将来もあり得ないに違いない。充実した読書の時間だった。もう一度「七人の侍」の映画を見直してみよう。
 最後に第9章で紹介されているエピソードを引く。

……小橋の上にうつ伏せになって倒れた菊千代の躯のうえに、豪雨が遠慮なく降り注ぐ。泥濘で戦っていたため泥だらけに汚れていた尻と足は、死んで動かなくなると雨に洗われてゆく。
 ちなみにこの場面に深い感銘を受けたロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーは、次のように記している。「足は泥まみれである。ひとりの侍が殺され、倒れる。すると雨がこの泥を洗い流してゆく。彼の足は白くなっていく。大理石のような白さ。男は死んだ! これは、事実というイメージである。これは象徴体系から免れている。これこそイメージなのである。」

 四方田犬彦にはエッセイストクラブ賞を受賞した岩波新書で「ソウルの風景」がある。これも読みごたえがあったが、やはり専門分野のことを書いたものは迫力が違う。こんな調子で様々な映画について、もっともっと四方田が書いてくれれば本当に嬉しいのだが。


『七人の侍』と現代――黒澤明 再考 (岩波新書)

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ソウルの風景―記憶と変貌 (岩波新書)

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