混乱する記憶

 毎日新聞2010年6月6日の書評欄の「この人・この3冊」は「徳島高義・選による編集者としての寺田博」だ。寺田が編集した3冊、中上健次枯木灘」、古井由吉「槿(あさがお)」、吉本ばなな「キッチン」を取り上げている。

 寺田博氏に「ある酒場の終焉」という好エッセイがある。25年つづいた新宿駅西口はずれの酒場「茉莉花」で、1984年2月29日、閉店を惜しみ常連の作家や編集者が90名ほど集まった夜のことを書いたものだ。(中略)
 寺田氏はこの3月、結腸がんのため76歳で逝ったが、氏を偲ぶ文章を書いた親しい作家は、皆哀悼をこめて酒場を鍛錬と交流の場に挙げた。
 61年、河出書房新社に入った寺田氏は、坂本一亀編集長率いる『文藝』で鍛えられ、65年、68年の2度、編集長となる。同世代の「内向の世代」と伴走したが77年退社。2年後、作品社を設立、『作品』を創刊するが7号で廃刊。81年、福武書店(現ベネッセ)に入社、翌年創刊した『海燕』編集長として、干刈あがた島田雅彦佐伯一麦吉本ばなな氏等新人作家を輩出して、新しい文学の流れを作った。

 以上長々と引用したが、文中「坂本一亀編集長率いる『文藝』で鍛えられ」に引っかかった。以前、三上さん(id:elmikamino)とのやりとりを思い出したのだ。
「名物編集者ヤスケン(安原顕)の毀誉褒貶」(2007年4月12日)のエントリーに対して、三上さんがコメントを寄せられた。

elmikamino  mmpoloさん、大変興味深いエントリーです。以前にも書いた記憶があるのですが「海」の編集長を勤めた確か頭文字がSで始まる極めて有能だったらしい方のことはご存知ありませんか。多くの独り善がりな子どものような作家たちに、心大きく付き合い過ぎたせいで、早死になさった方。

mmpolo  宮田毬栄の同書にこうあります。
>一時はヘドロの「海」とまで言われたことのある雑誌「海」を正常な文芸誌に再起させ、新しい試みと伝統の意味を調和させる雑誌作りに励んだ、私の前々編集長塙嘉彦氏は、1980年1月、白血病で他界するのだが、彼が倒れる半年くらい前、私にこう言ったことがある。「あのYのことだけはどうにかならないかなあ」。もともと陽性な彼が元気のない訴える口調で言ったのだ。

elmikamino  塙嘉彦さん、はなわさん、かもしれません。記憶違いのようです。ありがとうございました。

 三上さんの言われるSという編集者は「坂本一亀」ではないだろうか。ただ早死にしたのは塙嘉彦とのことで、記憶の微妙な混乱の例として興味深かった。坂本一亀は坂本龍一のお父さんである。亀が龍を生んだのであるか。

追憶の作家たち (文春新書)

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