佐野眞一の普天間基地移設論

 雑誌「ちくま」2010年6月号の佐野眞一の連載エッセイ「テレビ幻魔館」の「”ぼってかー”総理」が過激で面白く極めて参考になる。長いけれど引用する。ここで総理と言われているのは鳩山さんだ。

 ゴールデンウィーク中の5月4日、鳩山首相普天間基地の移設問題で揺れる沖縄を訪問した。予想していたことではあったが、結果は県外移転を求める沖縄県民の怒りに油を注ぐだけに終わった。(中略)
「米軍の抑止力をよく勉強してみて、県外移転が容易でないことが分かった。認識が浅かったといわれれば、そうかもしれない」
 この会見を聞いたとき、これが一国の宰相の発言かと耳を疑った。(中略)
 存在感も言葉も耐えられなく軽い首相に比べれば、まだ普天間基地の県内移転の現実的選択の含みを残した仲井真(沖縄県知事)の方が、ずっとしたたかに見えた。
 仲井真は東大を出て通産省から沖縄電力天下りした典型的な役人あがりである。仲井真には何度か会ったことがあるが、何の魅力も感じなかった。まわりからはこんな声が聞こえてきた。
「エラソーなだけで、頭は空っぽ。みんな陰では”ぼってかー”知事と呼んでいます」
”ぼってかー”とは、ウチナー口で「どてかぼちゃ」のことである。転じて頭が空っぽな人間のことを言う。
 そんな話を聞いていたものだから、私は4年前の沖縄県知事選ルポで、沖縄県民はこんな”ぼってかー”男を知事に選ぶくらいなら、同じ沖縄県出身の仲間由紀恵を知事にすべきだ、と書いた。
 だが、この男はただの”ぼってかー”ではなかった。”ぼってかー”というなら、何の妙案も出せずに空疎な理想論ばかりを言い続けた鳩山首相の方がよっぽど”ぼってかー”である。
 鳩山が沖縄を訪問する少し前、実は私も沖縄を訪れた。ことし1月の市長選で反対派の稲嶺進に敗れた前名護市長の島袋吉和にインタビューするためである。
 普天間基地移設問題は、15年前の少女暴行事件まで遡る。米海兵隊員3人による小6少女暴行事件に沖縄県民は怒りを爆発させた。これが日米地位協定の見直しと、普天間基地の移設問題につながっていった。橋本龍太郎総理、大田昌秀沖縄県知事の時代である。
 当時、名護市長だった島袋は、橋本内閣時代は梶山静六官房長官と、小渕恵三内閣時代は野中弘務官房長官と根回しをして、普天間基地を名護市の辺野古に移転する案をつくりあげた。
 梶山にしても野中にしても、鳩山内閣の吹けば飛ぶような平野(博文)官房長官の軽さと、比較する方が失礼な超大物官房長官である。
 普天間基地辺野古移設案は、彼らが政治生命をかけ、ガラス細工のように作りあげた窮余の一策だった。それを政権が交代したからといって、一気に反故にするのは、駄々っ子のやることではあっても、国の舵取りをまかされた大人の政治家がやることではない。(中略)
 普天間基地辺野古移転の是非論は別にして、島袋の率直な物言いには好感をもった。島袋によれば、名護など沖縄本島北部地区(「山原=やんばる」と呼ばれる)の人口は、沖縄全体の人口が3倍近く増えているのに対し、大正時代から全然増えておらず、過疎化にまったく歯止めがかかっていないという。
「基地は”迷惑施設”に決まっています。ただ、普天間の危険性の除去という観点からも、国防上の観点からもどこかに置かなければなりません。基地を受け入れて経済振興を図る。それが地元にとっていかに苦渋の選択かということを鳩山総理は理解していません」

 長い引用になったので、後は略す。極めて参考になる意見だと思う。ここに引用したのは全体のほぼ半分くらいだ。雑誌「ちくま」は書店で無料で配布している。また図書館にも置いてあると思う。全文を読むことをお勧めする。