ディック・フランシス

 今年のバレンタインデー2月14日にイギリスのミステリ作家ディック・フランシスが亡くなった。作家を悼んでいくつかの追悼文が書かれた。その一つに、ディック・フランシスの最高傑作は「大穴」だとあった。元競馬騎手だった経歴から競馬に関するミステリを書いている作家という認識で、今まで何も読んだことがなかった。私はミステリの良い読者では決してないし、それどころかミステリをほとんど読んでないことにも気づいた。
 そして「大穴」はすばらしかった。ストーリーも個々の描写もとてもいい。今まで読んでいなかったのを悔いた。ちょうど先週だったか、毎日新聞の読書欄のコラム「この人・この3冊」が養老孟司が選ぶディック・フランシスだった。

1. 女王陛下の騎手(ハヤカワ・ミステリ文庫・品切れ)
2. 侵入(ハヤカワ・ミステリ文庫)
3. 決着(ハヤカワ・ミステリ文庫・品切れ)

「女王陛下の騎手」。これは処女作、しかも自伝である。騎手生活を引退し、新聞に書くことを始めて、作家として立つ。現在のエリザベス女王と変わらない年代で、イギリス人の常識がよくわかる。具体的でユーモアに富み、詳細が興味深い。6歳のときにロバに後ろ向きに乗り、障害を飛び越すという賭けをを兄とやる。それに勝ったのが、心中での騎手の始まりだと書く。どうしようもない人だが、非常識かというなら、とんでもない。こういう友人が欲しい。読者にそう思わせる。
「侵入」。ポアロやホームズの場合と違って、フランシスは同じ主人公をあまり使わない。その例外の一つがこれで、次作の「連闘」と同じ騎手が主人公である。24番目に翻訳された典型的な競馬シリーズの一つ。「決着」。これが32番目。(中略)どちらの作品も貴族や王族が出てくる。家というものが重要性を持つのは、何も日本に限らない。
 フランシスの作品から、実現するとはどういうことか、フェアとはどういうことか、戦わねばならないのはどういう場合か、大人の倫理が学べるはずである。若い世代なら、成熟とはなにかを知ることができる。いつも私はイギリス人に感心する。むろん出来のいい人の場合だが。どこの世界でも、実際にものごとを進め、片付けるのは、フランシスの主人公のような人たちだ、と読者に思わせる。

 最近松本清張が評判になっているので、「砂の器」を読んだ。ついでアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」も読んだ。どちらも初めてだった。「砂の器」は犯人が刑事の関係者の近くに住んでいたり、都合が良すぎる点が多々目立った。「そして誰も〜」は設定に無理がある。調べると、クリスティが1939年、清張が1960年に書かれている。それに対して、フランシスは1965年だ。年代の割に清張は古い印象がある。それが清張がミステリから足を洗った理由ではないのか。
 フランシスには30冊以上の翻訳がある。これからゆっくりと楽しめそうだ。

大穴 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 12-2))

大穴 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 12-2))