村上肥出夫という画家

 山崎省三「回想の芸術家たち」(冬花社)という本を読んでいる。山崎は長く「芸術新潮」の編集長を務めた人。新潮社が創設した「日本芸術大賞」の選考委員になってもらった関係で川端康成と親交があった。

 鎌倉長谷の路地の奥、板敷きの広い台所からも、砂地の庭からもあがった覚えのある川端家の客間で、愛らしい少女の顔の埴輪を見せていただいたことも、たまたま出してあった古賀春江の小品にしげしげ見入ったことも思い出す。ある時は、先客だった骨董商が床の間に掛けた軸を、長い座卓に両肘を置いて、じっと凝視めていた川端さんの姿も目に浮かぶ。川端さんはいつも和服だったが、小柄でギロリと光る大きな眼と頬骨が目立つ鋭角的な氏に良く似合った。
 ある日は、こっちに来て下さいと通された小部屋で、見慣れない油彩の街景を3、4点見せてくださった。村上肥出夫という素人でといわれるのだが、いわゆる素人画では全くなく、厚塗りらしいのに乾いた肌をした幅広な筆触によるガード下の景とか、並木と歩道とビルが描かれた銀座らしい街景とかであった。街景とはいうものの、風景画というよりは対象のすべてが静物(死せる自然)といった感じがあった。ものの終末を肌で感じとってしまっているような目差しが絵にあった。帰り道、私は、きっと川端さんは、村上青年のこのアナーキーな目差しに魅せられたに違いないと思ったり、ひょっとすると氏はかれの絵を(日本芸術)大賞の候補にもと、私に見せたのかと考え込んだりしたのだが、いずれにせよ、もうひとつ納得が行きかねる作品であった。
 この村上肥出夫は銀座の裏町にリヤカーを置いて放浪の生活を送っているとかで、ある時、並木通りで絵をならべていたのを通りがかった彫刻家の本郷新が見つけて興味を持ち、早速旧知の兜屋画廊主に教えたのがきっかけで、やがてそこで個展を開いて評判になった。そうした過程の中で川端さんは彼の絵を知ったのだった。

 村上肥出夫展は大川美術館でも開かれたらしい。
http://www.kiryu.co.jp/ohkawamuseum/murakami-kaiyo.htm
 村上肥出夫は朝日新聞が贔屓にしていて、兜屋画廊での個展は何度も朝日新聞の社会面で紹介された。それで見に行ったが、どうして彼が評価されるのか分からなかった。
 数年前、その兜屋画廊で山本弘展が開かれたとき、美術評論家瀬木慎一さんが見に来られた。山本弘展の翌週が村上肥出夫展だった。瀬木さんは、村上は俗だけどあんたの先生(山本弘)の芸術はこんなに高いよと言って手を頭の上にかざされた。