鷲田清一「ちぐはぐな身体」

 鷲田清一「ちぐはぐな身体」(ちくま文庫)を読書中。鷲田の前著「モードの迷宮」(ちくま学芸文庫)は彼が初めて「マリ・クレール」という一般雑誌に連載した論文だったので、必要以上にハイブローで難しかったが、本書は最初「ちくまプリマブックス」というヤングアダルト向きの叢書のために書かれたので、漢字にルビも多くとてもやさしく書かれている。
 以前中沢新一の名著「カイエ・ソバージュ」のシリーズを読んだ時、これはおそらく東北芸術工科大学での講義をもとにまとめられたものらしいが、その第3巻「愛と経済のロゴス」のまえがきに、面白いことが書かれていた。

 もちろんこんなに野心的な構想を、大学の学部学生に向かってしゃべるのはあまりに申し訳ないと思ったので、今回に限っては、実際の講義では語りたいことをずっと単純化して、わかりやすい内容にしたものをしゃべることにした。そのために実際の講義に参加した方は、自分達が耳で聞いたことと今度の本の内容がずいぶんちがっているような印象を受けるかも知れないが、そのとき私が本当に語りたかった本音のところが、この本の中で素直に告白されているのだと思って、恋人の打ち明け話を聞くようなつもりで読んで頂きたい。

「愛と経済のロゴス」は難しい内容ではなかったので、大学生のレベルってそんなに低いのかと驚いたことを思い出した。
 大学生のレベルがそうなのであってみれば、一般ヤングアダルト向けなら、このくらいやさしく書かねばならないのだろう。さて、途中だが面白かったエピソードを紹介したい。著者は現在は大阪大学学長だが、執筆当時は関西大学哲学科の助教授で40代半ばだった。

 ところで、ぼくらがよく襲われるきつい感覚に「きたない」という感覚がある。げろ(吐瀉物)、大便や尿(排泄物)、痰、生ゴミ、お風呂に浮いている垢、床の絨毯にからまった髪の毛……そういうものに多くの人が「きたない」と発作的に反応する。ちなみに、むかしぼくが看護学校へ哲学を教えにいっていたころ、生徒たちに「きみたちがいちばんきたないとおもうものは?」と質問すると、最初に返ってきた答えがなんと「おじさん!」というもので、なんのためらいもなくそういう答えが返ってきて、卒倒しそうになったのをおぼえている。その日はさすがに最後までことばがしどろもどろだった。

 そうか、おじさんが一番汚いものなのか……。

「貴族階級にとっては、いくつかの保護主義的措置以上に、豪奢な生活を独占することによって社会階級の差異を目に見えるように維持することの方が当面の急務だった……仕立て、素材、染色などを規制して、彼らは自己の権力の服装面での標識(錦織、飾り紐、裏地、毛皮、羽根飾り、レース、貴金属、高価な染料など)を確保し、このようにしてその権力の正当性を誇示し、一層の輝きを与えたのである」(フィリップ・ベロー「衣服のアルケオロジー」)
 こういう華美な服装に対して、新興ブルジョワジーは、「品位」という控えめの価値を対置し、「慎み、努力、正確、真面目、節度、自制」などを可視化するような衣装を身にまとうようになる。「貴族階級の無為と奢侈の目印であった布地・服飾品のきらびやかな多色」に対抗する単色・無彩色の服である。これは、西洋の服飾史のなかではじめて組織的に追求されたドレスダウン(着飾らない服)の思想だったといってもいいだろう。シックと単純さの美学である。ちなみに、ドレスダウンの波は1960年代にもう一度ファッション史を襲う。ヒッピー・ムーヴメントの発生であり、これ以後、ドレスダウン(着くずす服、みすぼらしい服)のファッションが、つねに定番の一つとしてモード・シーンに書き込まれることになる。

 もう一つ、面白いことが語られる。

 服が自由すぎて、選択の幅がすこぶる大きくなると、じぶんを確定する枠組みがゆるくなりすぎて、かえって落ちつかない。制服のほうが選択に迷わなくてかえって楽なのだ。おとなになって、じぶんはこのブランド、この会社の服というふうに決めてしまうと、毎シーズン、買い物が楽なのと同じだ。
 そうすると、イメージさえよければ、制服のほうがいいという気持ちになるのも当然だ。実際、かわいい制服にあこがれる少女がいっぱいいるし、制服がすてきだからという理由で受験生が殺到する高校もあるくらいだ。ちょっとうがった見方をすると、これには、単純に「あの服かわいい」といった気分だけでなく、おとなの〈女〉になることの拒絶という、入り組んだ感情もはたらいているのかもしれない。あるいは、他の高校との微妙な差異を楽しむ遊びの感覚も作用しているかもしれない。
 他方ではもちろん、学校から配布された制服を、おとながじぶんたちをかれらの規範のなかに強引に収容するための囚人服のように感じて、それを見えない細部で徹底的にくずすというきつい抵抗もある。従順であることの拒絶であり、おとなの顰蹙を買うことにこそみずからのアイデンティティを懸ける「不良」や「族」の精神は、多かれ少なかれ、だれのうちでも蠢きだしているものなのだ。

 制服に関連して。昔、銀座のクラブ「メイフラワー」のポーターをしていたとき、将校のような金モールの付いた制服を着せられていた。銀座の中央通りを行く人たちがビルの玄関に立っている私をじろじろと見る。女子高生たちは見えないところへ行って笑い、小母さんたちは指さして笑った。男たちは見ないふりをしてくれたが、黒人兵は陽気に手を振った。どんな反応をされてもシャイな私が全然平気だった。制服の陰に隠れて、私の本当の姿はそこになかったから。

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)

ちぐはぐな身体―ファッションって何? (ちくま文庫)