山本弘の作品解説(30)「山合い」


 山本弘「山合い」油彩、F4号(33cm×24cm)
 1976年、46歳の時の制作。小品だがとても美しい。「山合い」は「山間」の意味か。山本は時々当て字を書いた。
 この作品は飯田市の公民館長をされていた池田憲寿さんのコレクションだったもの。池田さんはデッサンを主とする数十点の山本弘の作品をコレクションしていたが、すべて山本から無償で譲られたという。山本が信頼していた数少ない友人だった。「山本弘遺作画集」に寄せられた池田憲寿の言葉。

 山本弘を知ったのは、1955年だったか、公民館活動で馴染みだった小原玄祐が飯田アンデパンダン展をするから新聞でPRしてくれと頼まれて観に行った。関(龍夫)さんと弘の作品に接してすぐ原稿を書いて寄稿した。1957年に文学同人誌「橋」が創刊し、表紙が日夏耿之介先生の題字と弘の絵のカットで、伊那谷にしては珍しい筆勢の確かさに親しみを覚え、その後も個展やリア美展における両氏の印象に注目し、新聞発表させてもらった。
 年譜の内容や保存資料が乏しくて詳しく書けないが、「下伊那青年運動史」や「伊那谷の婦人文集」の編さんの仕事などで私が多忙になり、顔をあわせる機会が少なくなったが、固苦しい地方事務所に酔っていても私の所へ来て駄弁ったり、スケッチを描いてくれたりした。(中略)
 私の家が鼎の奥の山つけで不便なこともあったが、珍らしく訪ねてくれた時は、家内も親しく話し、亡母のことを憶えてか泣いたことがあった。ポスターの裏に描いたスケッチを押しつけるように私に持たせた時もそんな時で、弘のいじらしさと、絵に立ち向かう土性骨を健気に思わずにいられなかった。

 数年前、池田さんを訪ねた折り、たくさんのコレクションを預かってきたが、これはその1点である。
※引用中の「玄祐」さんの「玄」は正確にはさんずいが付く玄。