「背中の記憶」の巧さに舌を巻く

 長島有里枝「背中の記憶」(講談社)を読む。何か新聞の書評でほめていたので図書館にリクエストしたのだろう。借りられたのはそれから一月ほど経っていたので、どんな風にほめられていたのか忘れていた。長島有里枝蜷川実花hiromixと一緒に若手女性写真家として人気がある。蜷川実花hiromixの写真は、その人気とは反対にあまり興味がもてなかった。長島有里枝の写真は見たことがなかったが、他の二人と似たようなものだろうと思っていた。
 忘れていた頃入手した長島の本は、さほど期待もせず若手写真家の軽いエッセイだろうと読み始めた。最初の「背中の記憶」は恵比寿駅の近くの古本屋で偶然手にしたワイエスの画集から始まっている。画集の中の有名な「クリスチーナの世界」の女性の背中が長島の心に訴えてくる。それが祖母のイメージだったと、それから祖母の思い出が書きつづけられる。
 始め居間で読んでいたのだが、娘の前で読み続けることができなくて、自室へ下がって短いエッセイを読み終えた。こんなに強い言葉を読んだのは久しぶりだった。およそ間然するところがない。他のエッセイもこの祖母のほか、母、父、叔父、弟、保育園の頃、幼馴染み等々が描かれる。どのエッセイも完成度が極めて高い。
 舌を巻く巧さだ。著者がどんなに写真家として評価が高いとしても、このエッセイのすばらしさには及ばないだろう。少なくとも写真家の余技というレベルではない。私たちはいま優れたエッセイストの誕生に立ち会っている。

背中の記憶

背中の記憶