岡田茉莉子の自伝「女優 岡田茉莉子」を読んで

 先月末に発行された岡田茉莉子著「女優 岡田茉莉子」(文藝春秋)を読んだ。カバー(英語でjacket)のデザインがいい。背表紙の標題の文字は大きすぎて品がない。表紙(英語でcover)のデザインは良くない。女優の伝記なのに口絵写真がない。

女優 岡田茉莉子

女優 岡田茉莉子

 600ページ近い大作だがゴーストライターを使わず一人で書いたという。読み始めて意外に文章が上手で驚いた。父親を1歳の時に亡くして母子家庭で育っている。母親が何も教えてくれなかったので、父親が戦前の有名な二枚目俳優だった岡田時彦だったことは高校を卒業する頃初めて知った。叔父が東宝のプロデューサーだった関係で東宝の演技研究所に入れられてしまう。最初はいやだった女優に、やがてこの道を進むしかないと決意する。
 最初の部分が面白い。新潟に疎開して6年間過ごし、土地にとけ込もうと新潟の訛りを身につけようとしたり、デパートや喫茶店でアルバイトをしたり。
 映画女優になってその美貌でたちまちスターになっていく。東宝からフリーになり松竹に入り、映画産業の衰退から舞台女優に移ってゆき、彼女の人生に大きな挫折はないかのようだ。映画出演100本記念に自分で企画した藤原審爾の「秋津温泉」を選び、その監督を依頼した吉田喜重と結婚する。
 伝記の大きな部分をフィルモロジーというのか、彼女が出演した映画についての記載が占める。出演した映画は156作品、舞台の公演は68回、テレビドラマは147作品というから、ページが厚くなるのは無理もない。
 しかし本当に彼女の人生には大きな葛藤はなかったのだろうか。愛憎も語られない。それは女優の自伝の宿命だろう。立原正秋が本人が主張するような日韓混血ではなく、両親とも朝鮮人だったことを書いたのは優れた伝記作家である高井有一であり、駒井哲郎が酒乱でどんなにひどい醜態をさらしたかを書いたのは、これまた優れた伝記作家である中村稔だった。どちらも自伝ではない。
 だから岡田茉莉子自伝についてはこれで良いのだろう。口絵写真がないのが大いに不満だが。1967年のNHKの日曜夜の大河ドラマは「三姉妹」だった。岡田茉莉子が長女を、藤村志保が次女、栗原小巻が三女を演じたこのドラマを見てから、私は岡田茉莉子のディープなファンになったのだった。もう42年になる。