つげ義春が井伏鱒二の小説を好み、地方へ行ったら井伏の小説のような経験ができるかと思ったと書いていた。今度40年振りに井伏鱒二の「山椒魚」(新潮文庫)を読み直してみたら本当に驚くほど似ている。
まず井伏鱒二の「言葉について」から、
日本海の××島の住民は男も女も申し分ない肉体をしていて、言葉づかいも一風かわっている。どんなに可憐な様子に見える少女でも、頑として腕っぷしが強く、まるきり喧嘩腰かと思われるくらいぶっきらぼうな言葉づかいをする。それ故、はじめてこの島に旅行して来た人には、彼女のおしゃべりや情愛が正確に身にしみかねるだろう。たとえば「おや、あなたはとても近眼がお強いのね!」というときに、おそらく彼女はせいいっぱい若い女性のたしなみを忘れないでいうのであろうが、「われこそ、めっかちのくせに!」という。そこでわれわれが、
「僕は決して、めっかちなんかじゃないと思います」
と答えると、彼女は念のためにわれわれの顔や眼鏡をのぞき込み、
「われこそ、この財布を落したろうね、めっかち! よべど叫べど筒ぬけするようなその気がわたくしにはわからん。して、躍起にならずに泊らんかね。十分かくまってあげましょう」
それを訳述すれば、次のような意味の言葉になる。
「あなた、この財布を落しません? やっぱし、ひどい近眼でいらっしゃいますわね。あたしが幾らお呼びしても、素通りしようとなさるんですもの。いいえ、そんなお礼をいっていただかなくても、その代りあたくしどものうちにお泊りくださいませ。お静かな部屋もあいていますから、ごゆっくり静養できますわ」
つげ義春の「もっきり屋の少女」(ちくま文庫の「紅い花/やなぎ屋主人」に収録)では、
地方へ旅行するとときおり藪から棒のような言葉づかいを聞かされることがある。
ははん/これがこの地方の方言なんだなと思っても……
たとえば
「にしらはろくな銭もねいくせに海だ山だってけつかる/本当にたまげたもんだ」
というような挨拶をされるとオヤオヤこの人は何を考えているのかな……
という興味が湧いて来る
井伏の小説では、案内してくれた少女は年齢を聞かれて「一白水星の15歳」と答える。
そういう物覚えのいいことをしゃべりながら彼女は頭髪の各部分を櫛で撫でつけていたが、すこしも拘泥することなく寝間衣だけの姿になって、いきなり寝床のなかにはいって来た。
これではまるで何々するということにほかならない。
つげでは、「にしらはろくな銭もねいくせに」と挨拶した少女は「もっきり屋」という居酒屋の女給をしていて、飲みながら主人公の手を彼女の胸に触らせる。
きみはだれにでもこんなサービスをしているとするとこの店の客は品がないね。
なんにもしなければ私らは張り合いがありまっせん
まだまだ類似の場面が続いていく。これだけ似ていながら別の作品になっている。これはつげによる井伏へのオマージュだ。
この「山椒魚」には「屋根の上のサワン」も収録されている。藤家渓子はこの短篇を原作にしてモノローグ・オペラ「赤い凪」を作曲した。
太宰治も傾倒していたし、井伏鱒二って意外にファンが多いんだ。
- 作者: 井伏鱒二
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1948/01/15
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 88回
- この商品を含むブログ (57件) を見る
- 作者: つげ義春
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/02/01
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 7回
- この商品を含むブログ (9件) を見る