進化は個体の死に興味を持たない

 私の住むマンションは結構大きくて、端から端まで100メートルくらいある。北側の長い廊下を通ってダストシュートに行く時、しばしば廊下の隅ににひっくり返っている落ちゼミを見かける。飼っている猫のお土産にしようと拾おうとすると逃げてしまう。衰弱しているが、自然死までには至らない状況らしい。
 マンションの廊下でこうなのだから、道路や植え込みやあちこちにセミは落ちているのだろう。圧倒的に数が少ない象に比べておそらく日本の人口より多いだろうセミは、象の墓場と違ってあちこちにセミの墓場をつくっているのだろう。セミの自然死は自然なのだ。私に拾われて猫のおもちゃにされて食べられたり、踏みつぶされたり、衰弱して死んでいったりしているのだろう。
 いずれにしろ多くの動物の死は幸福なそれではない。むしろ苦しい最後ではないのか。それはなぜか?
 進化論の主流である適応をそのまま了解するものではないが、環境と適応の考え方は大きなところでは間違っていないだろう。そして個体の死については適応は全く働かないに違いない。どんな死に至っても、どんな苦しい死となっても、進化はそれに影響されないだろう。どんな死に方を得た種もそれによって有利な適応を持つことはない。進化は個体の死に興味を持たないのだ。だから、動物たちにとっては「リカオンとインパラ、残酷な死」(2007年5月7日)という無残な死が普通に行われているのだ。