山崎さんの話

 定年が近い山崎さんが東北へ出張した。初めて行った街で夜バーへ行ったと言う。そのバーではホステスがテーブルの向こう側に座っていて、横に来てくれないんだよ。せめてダンスができればいいのに。
 どうしてダンスができればいいんですか? だって女性の身体にさわれるじゃん。「じゃん」なんて言うのは山崎さんが横浜生まれの横浜育ちだからだ。
 それにしても「女性の身体にさわれればいいのかよ」と突っ込みたかったが、何しろ山崎さんはクライアントの担当者なので不愉快にさせることは避けなければならない。
 横浜出身で勤務先も横浜と東京、一度も実家を離れたことがない。結婚しているが親とは同居、伝統的な総領=長男の性格だった。
 さらに「トニオ・クレーゲル」に登場するような典型的な市民で、芸術を一切認めていなかった。抽象絵画が良いなんて、誰も思ってもないのに皆口裏を合わせているだけだと言い張る。あんな絵が良い訳がない。本人は写真が趣味で全くの堅物というわけでもない。何度も説得を試みたのだが、結局こちらの主張に同意させることはできなかった。