加藤周一を読む喜び

加藤周一セレクション2 (平凡社ライブラリー)

加藤周一セレクション2 (平凡社ライブラリー)

 加藤周一セレクション2「日本文学の変化と持続」(平凡社ライブラリー)を読む。
 後白河法皇世阿弥、一休、新井白石、富永仲基、石田梅岩について明晰に論じ、また諭吉、鴎外、漱石荷風、龍之介、林達夫石川淳丸山真男堀田善衛、その他について簡潔に語っている。
 世阿弥の「花」について、

 能楽論における世阿弥の関心は、勝負にあり、勝負を決めるのは、観客だから、演技が観客に与える効果は、当然、その関心の中心であったはずである。他方能楽論の著作19種、その表題に「花」の語を含むものが6種あり、いかに世阿弥が「花」の喩えを好んだかが知られる。果して「花」の概念は、観客に対する効果、あるいは、見物人の側における特定の反応を意味し、その他の何ものも意味しない。役者の側から見れば、役者の見せ場、さわり、見物人をわかせるところという意味になるだろう。『風姿花伝』はいう、
「花ト、面白キト、メヅラシキト、コレ三ツハ同ジ心ナリ。」

 古今さまざまな人が「花」の意味するものについて甲論乙駁したのに、加藤はあっさり「集客力」だと明解に言う。
 一休については、一休咄の主人公であり、生真面目な高僧であり、また一方でエロティックな『狂雲集』の詩人であると説く。そこには盲目の森女との愛を歌った詩がある。「吸美人婬水」とまで歌っている。加藤は一休がよほど好きだと見えて、一休を主人公とした小説も書いている。
 新井白石に対しても、きわめて優れた知識人と見ている。

 思うに、徳川時代散文文藝の双璧は、武家を語っては、江戸の白石、町屋を背景としては、大坂の西鶴であった(西鶴のいわゆる「武家」物は、到底白石の文章の迫力に及ばない)。

 白石は行政官としても学者としても一流であった。
 つぎに31歳で亡くなった富永仲基について、

 荻生徂徠に続いて18世紀後半は、さらに独創的な二人の思想家を生んだ。すなわち安藤昌益と富永仲基である。(中略)富永仲基は政治的見解こそ明らかにしなかったが、知的領域では徳川時代の学者の中でもっとも激しく因習に挑戦した人で、当時の3つのイデオロギー、すなわち神道・仏教・儒教のすべてを真向うから批判したーー反対者の方法に関する彼の明解な説明ほど容赦ない批判はあり得ないだろう。徳川時代儒教的世界の中で、おそらくは西欧思想と何の接触もなしに、富永仲基が最近まで誰も予想しなかった新しい学問の可能性を、ともかくも予測し、しかもある程度まで発展させたということは、驚嘆に値する。その新しい学問とは、過去のさまざまな思想の連続をいくつかの大きな流れに沿った歴史的発展ととらえる厳密に経験的な科学で、それらの流れはまた思想そのものの展開に内在的な法則、言語の歴史的発展、それぞれの文化の環境的特質によって規定されるものである。

 夏目漱石では『明暗』をのみ絶賛する。

『猫』は今日読む能わず、『こころ』は読み得るかも知れないが、我々の文学世界に何らの新しい現実を加えていない。新しい現実は、『明暗』のなかにある。私は、『明暗』によって、又『明暗』によってのみ、漱石は不朽であると思う。そして、『明暗』は、漱石の「知性人たる本質」によってではなく、知性人たらざる本質によって、その他のすべての小説が達し得なかった、今日なお新しい現実、人間の情念の変らぬ現実に達し得たと思う。

 加藤周一を読む喜び。しかし加藤の新しい文章はもう読むことができない。だがまだまだ読んでないものがたくさん残っている。大江健三郎が弔辞で述べたようにこれからも加藤周一を読み続けていこう。