テツオ・ナジタに関して大江健三郎が書いている

 以前、「折口信夫への中沢新一と三島由紀夫の相反する二つの評価」(2008年9月28日)と題したエントリーで国文学者新山茂樹とアメリカの歴史学者テツオ・ナジタの不思議な関係を紹介した。
 それを読んだSHOKOさんからコメントをいただいた。

昔、横浜の三流女子大で新山茂樹先生の教えを受けた者です。なにげに先生の名前で検索して、驚いて来ました。お察しのとおり、大学は三流でも先生は超一流です。
シカゴへ行ってしまわれた後、自分はどうすればよいのか悩み、そこで購入したのが文庫の折口信夫全集…もう26年も昔のことです。
ナジタさんも、村上春樹の英訳で有名になったジェイ・ルービンさんも新山先生の教えを受けています。彼等は先生の教え子。私はただの卒業生…ですが、今も学生時代と変わらずに心にかけていただいて、様々なことを教えていただいています。

 彼女からテツオ・ナジタが新山茂樹の教えを受けていることを教わった。そしてつい最近、大江健三郎の講演集「鎖国してはならない」(講談社文庫)を読むと、テツオ・ナジタの名前が頻出していた。
 その「懐徳堂から東海村まで」から

 さて私は今日、これもやはりバークレイで知り合った歴史学者で、この関西で出されております山片蟠桃賞という大きい賞を受賞した人でもある友人の本の話をしたいのです。シカゴ大学教授テツオ・ナジタですが、かれはある時代の日本人の、経済についての根本的な思想を研究した人です。
懐徳堂ーー18世紀日本の「徳」の諸相』"Visions of virtue in Tokugawa Japan:The Kaitokudo Merchant Academy of Osaka"という本です。岩波書店から翻訳が出ています。

 ついで「ベルリン・レクチュア」から

 さて、私が四国の森の中から占領軍のジープを見おろして大きい心の動揺をあじわっていた時、太平洋をへだてたハワイ列島の、ビッグ・アイランドと呼ばれる島で、日系アメリカ人の、私と同年輩のひとりの少年が、やはり自動車にまつわる感情的に深い経験をしていました。かれテツオ・ナジタは、やがてシカゴ大学で教える歴史学者となるのですが、かれの父親は日本から移民して来た、土地を持たぬ農民でした。大戦の間、膨張したハワイの米軍基地の、軍人やその家族のために野菜を供給する農場で、小作人として働いていた人なのです。戦争が終るとすぐ、農場主は基地人口が縮小されるのを見越して、島の高地にあった農地と住居をナジタの父親から取り上げました。海に近い市街地へ降りて行く、ナジタ一家の乗った小型フォードを、砂糖キビ農場の巨大トラックが追い越して行くたび、ナジタ少年は怯えたということです。

 さらに「北京講演2000」から

 私が17世紀はじめから19世紀半ばまでの、徳川幕府の治世下の思想に関心を持ったのは比較的最近のことです。その契機は、アメリカの歴史学者テツオ・ナジタによる、封建期から近代にかけての日本思想研究に出会ったことでした。かれは日系二世のアメリカ人ですが、徳川幕府中期から後期に、日本経済の中心地をなした大坂において、商人たちが運営した学問所、懐徳堂の研究をしました。ナジタの研究にみちびかれて、私は日本における儒教儒学の受容が、徳川期においてどのように変化して行ったかを学ぶことになりました。単純化していえば、幕藩体制イデオロギーをなした荻生徂徠の学問から、伊藤仁斎の学問をへて、徳川末期の大坂の商人たちがーーかれらは危機にいたっている封建期の日本経済を担った者たちですがーーいかに独自の儒教儒学の受容と、現実への応用をなしとげたかに目を開かれたのでした。

 テツオ・ナジタが大江健三郎の友人だったのだ!
 テツオ・ナジタの一般向けの著書が「明治維新の遺産ーー近代日本の政治抗争と知的緊張」(中公新書)だ。残念ながらもう絶版のようだが。

鎖国してはならない (講談社文庫)

鎖国してはならない (講談社文庫)

明治維新の遺産―近代日本の政治抗争と知的緊張 (中公新書 551)

明治維新の遺産―近代日本の政治抗争と知的緊張 (中公新書 551)