トルーマン・カポーティの「カメレオンのための音楽」

カメレオンのための音楽 (ハヤカワepi文庫)

カメレオンのための音楽 (ハヤカワepi文庫)

 トルーマン・カポーティの「カメレオンのための音楽」(ハヤカワ文庫)を読んだ。翻訳は野坂昭如カポーティカンザス州の小さな村で起きた殺人事件を克明に追って書いた「冷血」で大成功を収めた。これはノンフィクション・ノベルと呼ばれた。
 私は初期の短篇集「ティファニーで朝食を」の頃が好きだった。特におばあちゃん好きにとって、この中の「クリスマスの思い出」はたまらない。私も何度も読んでいる。
 だが「冷血」の成功の後カポーティは壁にぶつかってしまう。ようやく14年後に発表したのが「カメレオンの〜」だった。ノンフィクションの形式を採っている。読んでみてあまり感心しなかった。が、興味深いエピソードもいくつかあった。つぎは「そしてすべてが廻りきたった」という短篇から。RBはシャロン・テート事件で逮捕された殺人犯のロバート・ボーソレーユ、TCはトルーマン・カポーティ

RB  毒ガスでやられているのを見たことはあるのか?
TC  一度あります。でも、その人は浮かれ騒いでるみたいにしてましたよ。死ねることが愉しく、すっきりやってもらいたがったんです。歯医者で歯をきれいにしてもらうみたいに、あの椅子に腰かけたんです。カンザスでは絞首刑を2回見ましたけどね。
RB  ペリー・スミスのこと? それにもう一人、名前なんてったっけーーディック・ヒコックだったっけ? そうね、ロープの端にあたったとたんに、やつら意識がなくなっちまったと思うね。
TC  というふうには聞かされてますね。ところが彼らは落とされてからも生きてましたよーー15分間か20分間かは。もがいてね。息をしようと喘ぎながら生きようと頑張ってましたよ。我慢できなくって私は吐いてしまいましたけどね。
RB  きっと、あんたはあんまり冷淡な人じゃないんだね、えっ? 冷たそうに見えるけどさ。
(中略)
TC  入れ墨のことなんだけど、奇妙なんですよね。殺人ーーたいていは連続殺人だけどーーを犯した数百人の男といままでに面接しているんですが、この人達に共通していることってのは、入れ墨しか見当たりませんでした。彼らの優に80%は、いろいろ入れ墨をしてましたよ。

「うつくしい子供」はマリリン・モンローとの思い出を書いている。

 1880年生まれのミス・コリアーは、演芸場(ミュージック・ホール)ゲイエティ劇場のコーラス・ガールを皮切りに芸能生活を始めたのだが、そこを卒えると、英国の主だったシェイクスピア劇の女優となった。(中略)晩年の数十年はニューヨークに居を構え、とびきり優秀な演劇コーチとして指導にあたったが、教え子は現役の俳優のみであり、通常はすでに”スター”となっている俳優に限っていた。キャサリン・ヘップバーンは終生の教え子であったし、いまひとりのヘップバーン、オードリーもコリアーの弟子であり、ヴィヴィアン・リーもそうだった。彼女の死に先立つこと数カ月間は、コリアー女史が”わたしのとくべつな厄介の種”と呼んでいた新参者、マリリン・モンローが弟子だった。
(中略)コリアー女史は次のように知らせてくれた。「ええ、そうよ。なんかこうあるのよね。あの娘(こ)って、うつくしい子供なのよ。と言っても、わたしはわかりやすく言っているつもりはないのよ。あの娘は女優なんかじゃないと思うのよ、どんな伝統的な意味でもよ。あの娘の持っているものーーあの存在感、あの聡明さ、あの才気煥発ーーはけっして舞台では表に出ないわ。とっても脆くて微妙だから、映像でしか捉えられない。飛んでるハチドリみたいなもので、カメラしかその趣を固定できないってわけね。でも、単純にあの娘はハーローの二代目だとか、売女(ハーロット)と思っている人は、頭がおかしいのよ。おかしいと言えば、一緒にやったのよ、”オフェリア”をね。皆が知ったら笑うと思うけど、あの娘こそがほんと見事なオフェリアだわ。グレタ(ガルボ)と先週話してたんだけど、マリリンのオフェリアのこと言ったの。そしたら、グレタは、『うん、わかるわ。あの娘の映画2本観たことがあって、まあろくな映画じゃなかったけど、でも、可能性のある娘よ』と言ったわ。」

「夜の曲り角、あるいはいかにしてシャム双生児はセックスをするか」はカポーティの自問自答だ。

Q  性的な空想は、よくしますか?
A  性的な空想をするときには、たいてい実行に移しちゃうのさーーうまくいくこともたまにある。でも、いつの間にか肉欲的夢想に耽っていたりすることもよくあるけどね。夢想は、ただ夢想なんだが。
 ぼくの考えでは今世紀最高のイギリス作家、故E. M. フォースターと、かつてこのことで話し合ったことがある。彼の言うには、学生時代は性的な思いで心がいっぱいだったそうだ。「成長するにつれてこの熱はさめるどころか、なくなってしまうだろうと思っていた。ところが実際にはそうならず、20代を通じてますますこの思いは募るばかりなので、そうか、40になるまではこの苦痛、つまり完璧な愛の対象をひたすら追い続けることから逃れられるだろうと思ったわけです。しかしそうはならず、40代を通じて性欲は頭の中に潜在し続けていたんですね。そして50になり、60になっても事態は変化せず、回転木馬に乗った人物のごとくに性的思いが頭の中を駆けめぐり続けていた。で、70代の年齢となったいまでも、性の妄想からは抜けきれずにいるんですよ。まだとりつかれているんです。実際の方はもう何もできないというのに」と彼は言ったね。

 さて、このことは無関係だが、E. M. フォースターもトルーマン・カポーティもホモだった。いや、本当に関係ないのだろうか? 分からない。「実際の方はもう何もできないというのに、まだとりつかれている」のか、ああ!