キャプションのない写真集

 以前、自費出版した写真集を販売してくれないかという依頼があった。アマチュアカメラマンが海外で撮影した海の生物の写真集だった。見たことのない珍しい生き物が写っている。でもこれは売れないと断った。写真に一切キャプションが付いていないのだ。写っているものが何なのか分からない。
 古典である名取洋之助「写真の見方」(岩波新書)に詳しく書かれているように、写真には繋辞がないので、写真のみでは正しい意味が伝わらない。戦後の中国の農村の食事をする子どもの写真に「社会主義になったが、相変わらず食べものは貧しい」と書くか、「社会主義になって飢える子どもはいなくなった」と書くかで、同じ写真が反対の意味を持つ。
 キャプションは重要なのだ。ところが最近、キャプションのない写真集を見た。写真家兼批評家の著したこの本は、本文約120ページのうち写真ページが87ページ、テキストページが24ページという構成だ。その写真に一切キャプションがない。ようやく巻末4ページを使って、全51点の写真のキャプションを写真植字で言ったら7級の大きさの文字で印刷している。7級はルビの大きさだ。
 そのキャプションを読むと、「ヴェルコールへの道」「オーストラリア 神話の岩山」「アマゾン高地の街道」「トラジャ村 スラウェシ」「ブルゴーニュ」「京都」「バリ」「エクアドル」「御嶽への道」「石垣島」等々、これらのキャプションがあるかないかで写真の意味が違ってしまうだろうものなのだ。編集者は、写真にキャプションがないほうがオシャレだと思ったのだろうが、全くないのも不親切だと思ったのだろうか。
 メガネを外していちいち本を近づけて小さなキャプションを読まされた初老の読者は編集者に対して強い不信感を抱かされたのだった。(あえて書名は明らかにしないでおく:税込み定価2.310円)。