東京で最初のロック喫茶Soul Eat

 東京で最初にできたロック喫茶がどこだったか知っている。それは38年か39年前で、新宿厚生年金会館前のSoul Eat(ソール・イート)という店だった。広い店内にものすごい大音量のハード・ロックのレコードがかかっていた。なにしろ隣りに座る友人に大声で話しかけても聞こえなかったくらいの音だった。当時Grand Funk Railroadグランド・ファンク・レイルロード)なんかが流行っていて、何度も何度もかかっていた。客層はフーテンが多かった。当時フーテン族という若者たちがいたのだ。日本版のヒッピーだった。新宿駅の東口広場にたむろして当時はまだ規制されていなかったシンナーをビニール袋に入れて吸っていた。フーテンでも金のない連中はソール・イートの入口に座り込んで漏れてくるロックを聴いていた。
 2番目にできたロック喫茶も知っている。高円寺だった。高円寺の南口、少し阿佐ヶ谷よりの鉄道高架脇の小さな店だった。今ある無人島プロダクションの近くだ。それから東京のあちこちにそうした店がぽつぽつ出来ていった。
 高円寺にはもうその頃規制されていた睡眠薬を売ってくれている薬局があった。北口を真っ直ぐ進んでいって早稲田通りに出たあたりだった。老夫婦がやっている店だった。睡眠薬遊びで育った(?)われわれはシンナー遊びにはちょっと抵抗感があって、ついに一度も経験しなかった。
 ジャズ喫茶もロック喫茶も、自宅やアパートにオーディオセットがない頃の店舗条件だ。田中角栄の所得倍増政策で若者たちの収入が鰻登りになり、オーディオセットが普及してそれらが廃業していった。
 ジャズ喫茶といえば、中野のクレッセント、新宿のDUGやDIG、渋谷のオスカー、高円寺の何と言ったっけ、それらを弱体化した記憶でかすかに思い出す。