40年前のキャバレーの料金

 40年ほど前、キャバレーのボーイをしていた。渋谷にあったエンパイヤという大きな店で。ホステス700人、ボーイ70人、メンバー70人がいた。元は力道山が経営していたリキパレスの建物で、現在はオフィスビルに建て替えられている。当時の給料が36,000円だった。これは喫茶店のボーイの給料30,000円より2割ほど高かった。今だったら18万円くらいだろうか。180,000÷36,000=5、ちょうど5倍だ。
 キャバレーのセット価格が2,200円だった。セット価格というのはビール(小瓶)1本におつまみがついたもの。この2,200円は現在の価格だったら5倍して11,000円。何だか高いなあ。ビールの小瓶なんてすぐ終わってしまう。追加のビールはいくらだったか。それにホステスが私にもご馳走してと、コカ・コーラとかスロージンフィズ、カクテルなんかを注文する。安サラリーマンではたまにしか来られないだろう。
 当時弘田三枝子「人形の家」が流行していて、キャバレーでも専属歌手が毎日歌っていた。それでこの曲が私の数少ないカラオケのレパートリーになったのだった。
 レパートリーと言えば、韓国の歌手李成愛が好きだったのでレコードも繰り返し聴いて、だから「カスマプゲ」も「黄色いシャツ」もハングル語(カタカナ)で歌える。接待の席で歌ったら、クライアントが私の顔を見て、あんた出身はどこかとたずねた。在日なのかと聞きたかったのだろう。
 ちなみにボーイは酒やつまみを客席に運び、メンバーはホステスの差配をする。700人のホステスがいれば70人のメンバーが必要なのだろう。
 その店ではマネージャーが毎夕朝礼(!)で話をしていた。それが面白くて感心した。まだ憶えているのはこんな話だ。お客さんに呼ばれていったとき、お客さんの隣りにどしんと座ってはいけない。上品に見えないし第一着物が傷んでしまう。端にそっと座りお尻を滑らせれば上品に見えるし着物も傷まない。
 毎日こんな話をしていたから、その尽きることのない話術に感心したのだった。残ビアが旨かった話はまた後日。