森崎偏陸展を見た!

 銀座1丁目の奥野ビル地下の巷房2というギャラリーで森崎偏陸展を見た。偏陸はヘンリックと読む。寺山修司の劇団天井桟敷のスタッフとして昔から名前だけは知っていた。天井桟敷の連中って変な名前を付けられていたから偏陸もその類だろうと思っていたら本名だった。
 私が知っている一番上品な女性が巷房の画廊主だ。こちらが作家の森崎さんで、寺山修司の弟さん。それだけ言って画廊のなかに入らずに階段を戻っていった。普段なら、私のことを作家に紹介し、少し雑談するのだが、どうしたのだろうと微かな違和感。それに寺山修司に弟がいたっけ? 地下の小さなギャラリーの壁面にカラー写真が展示されている。花が写っていたり水だったり空だったり・・・。しかしよく見ると何か変な物が写っているようなのだ。これってアレですか? ええ、全部ぼくです。驚いたことにすべて勃起した亀頭が写っているのだ。花の間からのぞいていたり、空や川と二重写しにされていたり。
 偏陸さんにいろいろ質問すると、プロフィールと題されたちらしをくれた。1949年生まれ、何と5男7女の12人兄弟の12番目。兄弟の名前が、ルピ、安利(アンリ)、ローザ、ペトラ、アンナ、ニーナ、ルイズ、エリー、実生(ミハエル)、照武(テルム)、成自(ジュージ)、偏陸(ヘンリック)で、男には漢字を与えている。
 17歳のときに家出をして、寺山修司の主宰する「演劇実験室●天井桟敷」に入団する。以後劇団事務所に住み込み、スタッフとして活躍した。1983年5月、寺山修司は肝硬変で亡くなる。同年6月、寺山修司の母はつの養子となる。
 寺山修司のお母さんはつの凄まじさは、田中未知「寺山修司と生きて」に「わがままで残酷で利己的で悪意の塊で強欲で」と書かれている。大変だったでしょうと偏陸さんに言うと、十円はげが何個もできました。
 3年後、協議離縁。しかし1991年12月20日はつと再度養子縁組し、その6日後はつが亡くなる。
 今は何をされているんですか? アラーキーの「人妻エロス」の編集をしています。もう12巻目です。毎年2万枚くらいの人妻の写真を渡されて、好きなように編集するように任されています。荒木さんはその内に解禁されるだろうと大股開きの写真も一杯撮っているんです。
 亀頭にカタツムリが這っている写真が展示されていた。20年近く前、これと同じテーマの写真をアラーキーが発表していたのを見た。アラーキーの方が過激だった。