北杜夫の「あくびノオト」

 北杜夫の初期のエッセイに「あくびノオト」というのがある。これは「あくびノート」なのか「あくびの音」なのか分からないでいた。富岡多恵子の「釋迢空ノート」(岩波書店)に次のような記述がある。

 中野重治は、その昔『茂吉ノオト』を書いた。わたしにはとうてい中野重治が茂吉の歌にしたように、対象に押しせまっていくことはできない。ただ、敬愛する中野重治のその本の題を真似ることはできるのである。「茂吉ノ音(オト)ってどんな音?」と中野のその本の題を見た親類か知り合いかの子供にたずねられたそうである。そのせいかどうか、のちにそれは『茂吉ノート』になったが、(後略)

 北杜夫はこのエピソードを知っていただろう。「あくびノオト」には「あくびの音」と「あくびノート」の両義性が持たされているに違いない。
 ところで北杜夫の名前は「トニオ・クレーゲル」のトニオを杜仁夫だったか杜二夫だったかとし、真ん中の文字を取って杜夫にしたと本人が言っているが、本当は山梨県北杜市出身のためだという事実は案外知られていない。