ミカンコミバエの根絶余話

 沖縄県に分布した柑橘の重大害虫ミカンコミバエの根絶は農林水産省沖縄県にとって最重要の課題事項だった。沖縄県にのみ分布し本土に分布しないミカンコミバエのために、沖縄県からは柑橘が本土に一切移出できなかった。そのため農林水産省沖縄県はミカンコミバエの根絶のために大きなプロジェクトを実行した。誘引剤と殺虫剤を組み合わせた誘殺テックス板の大量投下によってミカンコミバエの雄を殺虫し、残された雌から交尾の機会を奪ってやがて根絶に成功した。それが1986年(重要)のことだった。
 さて神田にあった青果市場が閉鎖されて品川区に移ったのは1989年のこと。ただ青果市場が移転した後も市場は一部継続して取引されていた。これから語ることは1990年代前半くらいことではなかったか。
 ある日午後一番で秋葉原から山手線に乗り新橋へ向かった。車内は立っている人も少なからずいたが、私は座って本を読み始めた。秋葉原から一駅か二駅過ぎたときに、スーツの左袖に蠅が止まった。何も考えずに追い払った。追い払ってすぐあれはミバエ、それも羽の模様からミカンコミバエではなかったかと思った。蠅は電車の中のどこかに逃げていってしまった。しかたないと思ったときまたその蠅が左袖に止まった。今度は右手で捕まえてポケットティッシュに包んでスーツのポケットにしまった。
 先ほど昼休みのとき会社の女性からミカンをもらって食べたことを思い出した。ミカンに親指を入れて皮をむいたのだが、その時に果汁が飛び散ってスーツの袖にミカンの匂いが付いたことは十分考えられた。多くの人がいる電車の中で二度までも私の左袖に止まったことはこの蠅がミカンコミバエである蓋然性は極めて高いと思われた。しかも秋葉原には果物の取引市場があり、沖縄から柑橘が運ばれてきている可能性は高いのだ。ミカンコミバエが根絶されていなかったのか? これは大変なことだ。
 仕事で新橋のクライアントを訪ねたあと、日本橋のクライアントへ回った。ビルの入り口でスーツのポケットに手を入れると丸めたティッシュがあった。ゴミかと思ってビル入口のゴミ箱へ捨ててしまった。その日帰宅してからミカンコミバエかもしれない蠅のことを思い出し、翌土曜日の朝早くビルの管理人へ電話してゴミ箱の中身をあらためさせてくれるよう頼んだ。しかし、昨日のうちにゴミは回収されて、蠅の標本はもう入手できなかった。その後沖縄県でミカンコミバエが発生したというニュースは聞かないし、それならミカンコミバエの標本が現れなくて良かったのだろう。
 私がミカンコミバエに詳しいのは、石井象二郎監修「ミバエの根絶」(農林水産航空協会発行)という本の編集を担当したことと、沖縄県発行の「ミカンコミバエの根絶」というパンフレットを制作したためだ。

 イラストは沖縄県のミカンコミバエ防除を解説したホームページより。元々、上記「ミカンコミバエの根絶」のパンフレット用に描いたものをネットに転用したようだ。懐かしい! イラストを描いたのは井出陽子さん。