サントリーホールでの黛敏郎の印象

 日本ペンクラブ・編「わたし、猫語がわかるのよ」(光文社文庫)を読んだ。日本ペンクラブの会員27人が書いた猫に関するエッセイ集だ。浅田次郎米原万里出久根達郎などが書いている。そのあとがき(森ミドリ)から。

 あれは何年前だろう。
 神宮前にあるペットショップのレジで支払いをしていると、これ下さい、おいくらですか、と声がして、赤いねこじゃらしが私の肩越しにスーッと現れた。
 え?と後ろを振り返ると、そこにいらしたのは作曲家の黛敏郎さん。大学の大先輩だ。
「あ、こんにちは、黛さんて猫飼ってらっしゃるんですか?」
「あー、いえ、仕事場近くの公園にいる猫と遊ぶためです」
「………」
 そうか、公園で使ってもいいわけだ、と妙な納得をしつつ、一瞬想像してみた。陽だまりのベンチに腰を下ろし、ほらほら、と言いながら猫と戯れる黛さんを……。(中略)
 新聞で黛さんの訃報を目にしたのは、それから数ヶ月のことだった。

 私は「題名のない音楽会」が好きでよくテレビを見ていた。司会を黛敏郎がしていたからその口調が何となく想像できる。公園で一人で猫と遊ぶと読んで、それも想像がつく気がした。
 真夏のサントリーホールの「サントリー音楽財団 サマーフェスティバル」へ何年も通っていたことがある。今年のプログラムを見ても「テーマ作曲家:ステファーノ・ジェルヴァゾーニ」とか「ジェラール・グリゼー没後10年に因んで」とか「音楽の現在」などというギンギンの現代音楽が並んでいる。休憩時間に日本の作曲家たちを何人も見かけた。(武満徹と連れションしたのもこの時だ)。その休憩時間にロビーのソファーに座っている黛をしばしば見かけたものだった。ちょっとふんぞり返って睥睨している感じがした。知人を捜している風でもあった。しかしあまり人が寄りつかなくて黛は孤独な印象を受けた。全体に〈右〉の発言が多かったせいもあるのだろうか、ボスっぽい雰囲気があるせいか。不遇の時代の武満にピアノをプレゼントしたように面倒見の良い人ではあったろうが。
 黛の作品はあまり知らないが好きな曲はなかった。ジョン・ヒューストン監督の「天地創造」の映画音楽を任されて高校生のときに見たのが最初だった。サントリーホールのロビーで人が寄りつかなくて孤独な印象の黛の姿が、公園で一人猫と遊ぶ姿と重なってしまうのだった。