山本弘さん27回目の祥月命日

 今日は画家山本弘の27回目の祥月命日だ。1981年のこの日、山本弘は自宅で縊死した。51歳だった。アル中の治療のため飯田市立病院の精神科に1年間入院していて3月に退院し、4か月後に亡くなってしまった。退院後はまた飲酒を始めたらしい。亡くなる前それまで何度もそうしたように妻子を実家へ追い返した。愛子さん(未亡人)によると、今まで追い出された時はいつも弘さんは酔っぱらっていたのに、この時は初めて素面で追い出された。
 それから数日経っても弘さんから何も連絡がなかったので、愛子さんは知人に依頼して弘さんの様子を見てきてもらった。声をかけても返事がなく、電灯も点けない薄暗い部屋で弘さんは座って眠っているようだった。それを聞いた愛子さんはもしやと思って19日に自分で確認に行った。弘さんは2段ベッドの上段に紐をかけて座ったままで縊死していた。蠅の幼虫が這い回り、私は夢中で殺虫剤をかけたのよ、変よね。死後4日が経っていた。弘さんの弟は警察が止めたにもかかわらず損傷の激しい遺体を見て、それから2か月間恐くて奥さんの布団で寝たとは愛子さんから聞いた。愛子さんは私は平気よと。
 7月26日、鼎町の法蔵寺で葬儀。暑い日だった。墓にユリが咲いていた。何年も経って山手線内で弘さんの匂いがした。アルコールに汗のようなすえた匂いが混ざったそれだ。振り返るとドアにもたれてホームレスらしい男が立っていた。懐かしい匂いだった。
 弘さんには13年間師事し大きな影響を受けた。しかし、亡くなってからもうその倍の年月が経っていた。私も弘さんの年齢を9年も越えてしまった。
 野見山暁治さんが、(山本弘が)51歳で亡くなったのはかわいそうだ、50歳を越えるとものがよく見えてくるのにと言われた。私はもう10年も越えたが、特に見え方が変わったという印象はない。