世界の人口が多すぎる

 毎日新聞7月6日の書評欄に若狭毅による古田隆彦「日本人はどこまで減るか」(玄冬舎新書)の紹介が小さく載っている。

 日本の人口が2004年の1億2784万人をピークに減り始めた。政府やメディアはその理由を「少子高齢化」で説明し、人口減少を問題視する。が、この問題は「パラダイム(思考の枠組み)を転換する必要がある」と言う。
「いわゆる少子化対策を打って両親の負担を減らせば、人口が回復すると考えるのは誤解です。少子化対策はむしろ、人口を減少させます」。日本が今、突き当たっているのは歴史上「5回目の人口の壁」だと見る。
「人口減少社会を考えるときキャリングキャパシティ(環境許容量)、人間の場合は人口容量の限界を考える必要があります」。環境許容量とは、〈一定の環境の中に一種類の生物が生きられる限界がある〉との考えに基づく。(中略)
 では日本には何人すめるのか。(中略)
 歴史をひもとけば、日本の人口容量には4つの壁があった。1. 旧石器時代の3万人、2. 新石器時代は26万人、3. 大陸から粗放農業文明が流入し700万人(10世紀ごろ)、4. 水田稲作文明を高度化させた集約農業文明により3250万人(1730年ごろ)ーーをそれぞれ上限とした。そして今は、科学技術を基礎にした加工貿易文明によって増えた人口容量が限界に達している。

 私も何度か書いたが、地球上の問題の多くが人口の過剰を原因としている。多すぎるのだ。


 以前、長谷川真理子のエッセイ「セントキルダ島と羊たち」を紹介した「人口問題」を書いた。ぜひ読んでほしい。セントキルダ島はまぎれもなく明日の地球なのだ。


 少子高齢化問題とか人口が少ない民族の問題とかいろいろあるだろうけれど、極論すればそれらはすべてドメスチック(家庭的)な問題に過ぎない。人口を減らすことが焦眉の問題なのだ。
 ついで半ばジョークを。先進国は一人っ子政策を採用し、そうでない国は二人の子を限度とする。どうしてもそれ以上を望む場合は男児に限ることとする。無人島に男1人に女10人の組合せで子供は30人以上生まれるだろう。男10人に女1人だったら多くても数人ではないか。子供の数を規定するのは女性の数なのだ。