藤原審爾「秋津温泉」の見事な省略

 吉田喜重監督作品「秋津温泉」を見た。原作とどう違うのかと藤原審爾「秋津温泉」(角川文庫)を読み直した。大略は原作の大枠を踏襲しているが、細部はかなり改変している。一番大きな変更は私(河崎)と絡む女性が、私が少年時から憧れて好きだった美人の直子が消えて、旅館の娘お新さん一人になっていることだ。直子とも私は相思だったのだが、幼くてそれと知らずに別れてしまう。お新さんは私に惚れ抜いているのに、私はいつの間にか同居していた女性と結婚してしまう。小説ではこの四つ巴が絡み合う。直子の美しさは誰からも賛美されるが、私はしばしばお新さんの成熟した身体に惹かれている。
 映画では、岡田茉莉子を主演にしてお新さんの役を当てたので、直子を消してしまったのだろう。また私はどうしようもないぐうたら男になっている。岡田茉莉子のような美人に惚れられて、私がどうして家庭を捨てて一緒にならないか説得力がなくなってしまった。
 しかし、この小説はなかなかよくできている。省略の技法がすばらしい。

「おまえもすこしーー」
 変だよと言いたかったものか、そこまで言ったが、あとは口にせず、伯母は寝返りうって私に背を向けた。
「明日は発ちますよ」
 障子をすいた月の仄白い光の中で、妙に伯母の襟足が若々しく見えた。この春、伯母はこころもち肥ってきているようだ。
 夏が来ると、休みにならぬまえから、私の受験勉強を口実に今年は秋津へは行かぬと、伯母はみょうに幾度も固くなって私に言い聞かせた。

 この「夏が来ると〜」の改行ひとつで春から夏に移ってしまっている。
 次はもっとすごい例。

 戦争が永くなり戦局が切迫してくると、日ごと物価が騰がりはじめた。家の構えで割付けられる戦争のための出費に、私たちは川添いの小さい家へ移って行った。庭が広く風通しもよく、眺めのよい家だった。伯母と私に、ついそのまえの頃からあずかっている、双親ともなく独りの兄は応召してよるべのない春枝との、三人の暮しにはほどよい家であった。
 少し造作をして綺麗に壁も塗りかえ、夏の盛りに私たちは移って行った。荷馬車へ品物を積む指図をして、夏の暑い日射しをうけながら一週間あまりも体に無理をかけた伯母は、新しい川ぶちの家につくなり寝込んで、それきり恢復しなかった。
(中略)
 伯母が亡くなったあと、気の抜けたような家の中で、私と春枝はひっそりと二人きりで暮して行った。
 春枝と一緒に暮しはじめると、私は縁者から急に見すてられた。訪れる人とてない暮しを、一つ年下の春枝はさみしがりながらも、必死に守って行った。
「どんなに見捨てられても、神さまだけは見守って下さるわ」
 春枝はひとりでそう決めて、ささやかな生活をこまめに切り盛りするのだった。
 年が明け、急に戦局が悪化して、先々の生活の目安が立たなくなると、みょうに心が追いたてられ休まらず、秋津の澄んで落着いた深い気配が、みょうになつかしまれてならなかった。
 火燵の中から、壁に吊した白い額縁の直子さんを仰ぎながら、私の傍で赤ん坊の服にミシンをかけている春枝に、
「秋津はもう梅が咲いているだろうねえーー」
 などとうつつのような声で話しかけたりした。
 秋津へは出かけたことのない春枝は、ミシンを踏む肢をとめ、そんな私にわずかに心をあらだて、私と同じように素描の直子さんをしばらく仰いでから、
「直子さんてかた、お目にかかりたいなあーー」
 そう言って、少し荒くミシンをまた踏みだすのだった。

 こんな短い叙述のうちに、私は春枝と結婚し、春枝は妊娠し、直子へ嫉妬をしている。この10行あとではもう子供が生まれているのだ。
 藤原はこの「秋津温泉」を書くにあたってチェホフの演劇の影響を強く受けていると思う。チェホフとは逆に都会から訪れて女たちの心を乱す男の側から書いたものだろう。