権力は腐敗する、いつでも

 南木佳士「トラや」(文藝春秋)を読む。芥川賞作家であり医者でもある人がうつ病になり、奥さんや猫(トラ)に助けられ長い時間をかけて回復していく。トラは野良の子猫だったが南木家の飼い猫となる。そして15歳で急性腎不全にかかって亡くなるまでが描かれている。とても良いノンフィクションだ。しかし時々ドキッとするような記述がある。

 むかし、週に一度は仕事仲間たちと呑みに行く店があり、その夜も二階のカウンターでソース焼そばをつまみにジンを呑んでいた。一階は食堂で、そこに院長が来ている、とマスターが教えてくれたから、降りていって、独りでラーメンを食べている院長の向かいに座った。そして、これだけ医者の数が増えてきたのだから、内科の医師の人事くらいは内科の責任医長の判断に任せればよいのではないか。いちいち院長の決裁をあおぐほどの大事ではないのではないか、と世間話のついでに持論を述べてみた。
 七十歳をとうに過ぎていたが、明治生まれの東京育ち、共産主義活動をとがめられ、東京帝国大学医学部を追われるようにして敗戦直前の信州の農村に赴任し、そこで貧困にあえぐ農民のための医療を実践するべく、病院を大きくしてきた院長の目は鋭かった。病院の宴席でたまに口をきく程度だったが、文芸誌の新人賞を獲った作家だとは覚えてくれているようで、ぼくも小説家になりたかったんだけど才能がなかったから医者になるしかなかったんだよ、と目だけは笑っていない笑顔で話してくれたこともあった。
 なるほど、君の言うとおりだな。これだけ大きな所帯になったからな。とくに内科はいちばん医師の数が多いのだものな。
 当然のようにこういう回答を期待して、ビールを注ごうとビンを持ったままでいるのだが、院長は黙ったまま顔をあげなかった。
「それはだれが言わせているんだ」
 院長は割り箸を置き、下からにらみつけた。
 爬虫類のような、冷えた目だった。この人の経歴のなかに、第二次世界大戦中、治安維持法違反容疑で目白署に一年間勾留さる、というのがあった。思想犯で獄死した者もいる時代の一年間の拘留に耐えた目に、ジンで勢いをつけなければ対面できない臆病な若造がかなうはずがなかった。
「だれでもありません。わたしの意見です」
 声が震えた。
「そんなことはないだろう。おまえみたいな若手に言わせて権力を握ろうとするやつはむかしからよくいたんだ。いますぐそいつに電話して、ここに連れてこい」
 院長の顔は青白かった。
 そいつ、とは内科の責任医長を指しているのは明らかだったが、彼から指示された発言でないのは明白なので、呼ぶわけにはいかなかった。
「それはできません。わたしの勝手な発言でほかの人に迷惑をかけることはできません」
 口をすべらせたのはこの身一つだけなのだ、と明確に認識できてからはいくらか腹が据わってきた。
「きさま、会議にも出てないくせに偉そうな口をきくな」
 院長の大声に驚いたのか、他に客はいなかったが、食堂の奥のほうで皿の割れる音がした。
 だって、会議なんて、あなたが一方的にしゃべっているだけなのだから、出たって意味がないし、と胸のうちで言葉の断片を探し、でも、わざとそれを文に組み立てないようにかきまぜる努力をし、ごく最近、この院長と喧嘩して病院を去った同僚のことを考えていた。言い争いのすえ、ぼくも言い過ぎた、握手しよう、と差し出された院長の手を、彼は腕を後ろに組んで拒否したのだった。
 よくそんな細かな事実まで知っているよな、と気味が悪くなるほど医者としての日常の、あまり他人に知られたくない落ち度について指摘され、反論の出口はすべてふさがれた。ここで席を蹴って、明日退職届を出せば、あの同僚とおなじになるのだな、と幾度も下肢に力を入れかけたが、立たなかった。
 立てなかったのか、立たなかったのか、いまでもよく分からない。だから、正確に記すとしたら、立たなかった、になる。
 最後に、
「きさま、この病院がだれの病院か分かってるんだろうな」
 と、すごまれた。
 ふだんは、病院内の徹底した民主化が至上命題だって口癖みたいに言ってるじゃないですか、と、胸の底で湧く子供じみた反論をなだめ、うなだれているしかなかった。

 もちろん院長とは人望の誉れ高い佐久総合病院の若月俊一院長だ。この人でさえ! 権力は腐敗するという言葉を思い出す。ちなみにこの本を私は医者の待合室で見つけた。手にとって、すぐ読もうと思った。良い作家だ。他の小説も読んでみよう。