佐野眞一「枢密院議長の日記」

 佐野眞一「枢密院議長の日記」(講談社現代新書)が面白かった。佐野眞一ダイエー中内功を描いた「カリスマ」や、満州の裏の実力者「阿片王」、これは未読だが「東電OL殺人事件」を書いている優れたノンフィクション作家だ。
 さて枢密院議長は倉富勇三郎、明治維新の15年前に生まれ昭和23年に満95歳で亡くなった。枢密院議長を勤めたときは宮中序列が4位だった。この倉富の最大の趣味が日記を書くことだった。26年間に297冊の日記を残している。しかも1日の執筆量の最大は400字詰め原稿用紙で50枚という量だ。しかし倉富は日記に感情を表さず、記録に徹しているという。それもささいな日常の記録が大部分を占め、「この日記を全体としては砂を噛んだようなものにさせている。倉富日記を読むものは、益体もない記述の連続に、いやでもうんざりさせられ、必ず途中で投げ出すことだろう。」
 本書は倉富の日記から大正10年と11年の2年間を選び、その中から面白いエピソードを抜き出して紹介している。それが面白いのだ。華族たちの婦人関係のスキャンダルや、御猟場での皇族による誤射殺人事件の隠蔽工作等々。

 大正15年4月、倉富は枢密院議長を拝命し、同年10月28日に男爵の爵位を授けられた。
 爵位服の肩には肩章、袖には金モールの装飾がほどこされ、華やかな綬を斜めにかけた胸には、勲一等旭日桐花大授章の勲章が吊されている。
 髪をおすべらかしにした内子夫人は、豪華な刺繍入りのこうちぎの下に、袴をつけた古式ゆかしい礼装である。手には檜扇が握られている。
 二人が並んで立っているところは、西洋を物真似した近代日本のモデルと、平安時代の宮中絵巻を、歴史の教科書のなかから抜き出して陳列したようである。
 それ以上に息をのまされるのは、倉富と内子夫人の雰囲気のあまりの違いである。
 面長で口を真一文字に結び、威儀を正した内子夫人の荘厳なたたずまいは、宮中の奥に仕えるいかめしい上臈のようである。
 倉富の風貌はこれとはまったく対照的に、村夫子そのものである。倉富の春風駘蕩然とした表情には、緊張感というものが微塵も感じられない。官僚のエリート街道をこの顔で登りつめてきたかと思うと、本人には失礼ながら、その不思議さに頭が煮えてきそうだった。

 新書ながら400ページを超え、ほぼ2冊分の分量がある。少しづつ読み進めた楽しい読書だった。