ギャラリーテオで谷口ナツコ展が始まった


 東京五反田のギャラリーテオで谷口ナツコ展が始まった。協力がミヅマアートギャラリーとある。ミヅマといえば現代美術のトップギャラリーだ。谷口ナツコへの評価が分かるというものだ。
 初日のオープニングに出かけたが、新作のほとんどが売れていた。それにしても改めて谷口ナツコの天才を確認した。まず眼を射るのが過剰な色彩だ。谷口は色彩の画家なのだ。その過剰な色彩を谷口は見事にコントロールしている。ついで細部に眼が行くだろう。密に描かれた細部が豊かなことに再び驚く。巨大な画面が点描で覆い尽くされている。その手仕事にかけられた膨大な時間! そのようにして描かれたテーマの中心が排泄なのだ。何という逆説なのか! しかしながらここに描かれた糞便が汚くないのも不思議だ。この谷口ナツコに比べれば草間弥生すら凡庸に見えてしまうだろう。百聞は一見に如かず。ぜひ見てほしい。
 カタログの三潴末雄氏のテキストより

 絵画作品を干渉する者の習い性として、この絵に込められた「メッセージは?」「作者の意図は?」「文脈は?」「哲学は?」「技法は?」「値段は?」と次から次へと作品の本質とは全く違った位相で、勝手な妄想の渦の中でつい作品を見がちです。(見ていないのかもしれません。)
 谷口の作品は、平成18年の12月に新宿のうらびれた小さな貸しギャラリーで初めて見ました。その過剰さと凄みに圧倒された事を記憶しています。記憶すら残らない作品ばかりが流行している時代の中にあって、文脈も哲学も必要としないプリミティブなアボリジーニ的世界を現出した谷口作品に半ば呆れ、過剰な色使いに相当反発し、しまいに根負けしているアンビバレントな気分の自分がいました。
 私は西洋哲学の言説を剽窃しながら、芸術を論じ、作品の解説をもっともらしくする売文業の輩は苦手なので、谷口作品についての読み解きは出来ませんが、「時代が谷口の作品に追いついて来た」と感じました。
 谷口は10年以上前から、同じ技法で、実に様々な場所で、作品を発表し続けてきました。こうした作家の真摯な努力にもかかわらず、作品のさしたる評価も話題にならずに無視され続けていたようです。そうした仕打ちにもめげずに、本人としては、ひたすら描くことが皮膚呼吸みたいな感覚で、延々とちまちまと描き続け、累々と作品の山を残していました。そして、ようやく時代が21世紀に入り、追いつく。しかしながら、谷口はこうした時代の到来を予見していたわけではなく、自分の作品にふさわしい時代の到来の中で、作品が主張し始めた事すら気づかずに、毎日キャンバスをひたすらポーシュ的手法(しぼり袋を利用した)で埋める作業を続けています。
(中略)
 谷口が、キャンバスを過剰な色使いで、何度も何度も繰り返しながら、ドットで埋め尽くす行為は、自分とは何か、世界への違和感、暴力、肉体、セックス、死といった問題や未来の漠然とした不安感にさいなやまされる21世紀の現実を反復的に見せられているように感じるのは、私の思い違いなのでしょうか・・・。

ギャラリーテオ
http://www.galleryteo.com/artists/05.html
五反田のキャッツシアターの近く。
東京都品川区東五反田2-5-15
電話03-5791-4484
3月21日〜4月19日(日月祝日休み)
午前11時〜午後7時

私が以前書いた谷口ナツコに関するエントリー
天才画家谷口ナツコ展(1)(id:mmpolo:20061212)
天才画家谷口ナツコ展(2)(id:mmpolo:20061213)