村松友視「アブサン物語」を読む、その他早坂暁の名文

 村松友視アブサン物語」を読む。村松友視がまだ中央公論社の編集者だった頃、上司が日比谷公園で拾ってきた子猫をもらい、その後21年間飼ってその死を見届けた猫に関する評判の良いエッセイ。
 それなのに、これが作家の文章かと思うほど文体がゆるい。どうして評判が良いのかと訝しんだほどだ。有名作家が猫のことを書いているからなのか。猫に関するエッセイは私が読んだものだけでも、内田百間の「ノラや」、金井美恵子「タマ」、浅生ハルミン私は猫ストーカー」、加藤由子「雨の日のネコはとことん眠い」、絵本の伊沢雅子「ノラネコの研究」などを思い出す。
 ところが、アブサンが21歳の老齢(人間でいったら100歳以上)でいよいよ亡くなる最終章になると、一転して村松の文体が緊張する。作家の文章になる。飼っていた猫の死が村松をして真摯にさせたのだろう。
 先に紹介した「ノラネコの研究」は良い本だった。伊沢雅子は沖縄大学の動物生態学の研究者だ。子供向けの絵本ながら、ノラネコの生態を面白く紹介している。何しろその行動を研究するために24時間追跡するのだ。夜中も後をつけ、ノラネコが寝ているとき彼女も路上で寝ている。
 伊沢雅子さんに、写真を主にしたノラネコの生態を解説した本を書いてほしいと企画を提案したら、沖縄ではノラネコがヤンバルクイナなどを補食して問題になっている。今ノラネコについて書くことはできないと断られてしまった。残念! 
 猫のエッセイで最も強く印象に残っているのは早坂暁が昔雑誌に書いていたものだ。どこかにないかネットで探すと、ここ(日々雑感)に紹介されていた。いまは週刊朝日・編「ひと、死に出あう」(朝日選書)で読めるらしい。
http://nachtkatz.serio.jp/myweb/zatsukan-0306.html

 ボクは東京は渋谷の繁華街、公園通りに住んでおり、そこにはボクの大好きな猫たちが住んでいて、毎夕、挨拶をかわし、可愛い声を聞かせてくれるかわりに、キャットフードをプレゼントする『援助交際』をしているのだが、その数十匹の猫たちをたどると、一匹の、まことに色っぽい牝猫にたどりつくのだ。
 ご先祖さまということで、『アマテラス』という名がついている。
 そのアマテラスが、うずくまったまま、食べることも、水を飲むこともしなくなった。十七歳をこえているから、人間でいえば百歳か。
 彼女がゆるりと体をおこした。よろよろと山手線の線路のほうへ、ゆるい坂道を下っていく。
 ― とうとう死ににゆくのだ。
 ボクはアマテラスの後を追った。何百匹と公園通りの猫たちと付き合ってきたが、一度だって、どこで死ぬのか教えてくれなかった。死にぎわがくると、ふっと姿を消してしまう。
 ビルの谷間や、わずかな空き地をさがしてみるが、一匹の死体も見つけることもできない。アマテラスは、よろめいては立ち止まって休む。無理はない。彼女はここ一週間ぐらい、ろくに食べてないんだ。水も絶った……。
 いってみれば弘法大師空海が死んだときのように、五穀絶ちをしているのだ。空海は死期を悟ると、自らその日を予告して、その日に向かって五穀を絶ち、最後に水を絶って死を迎えたという。
 アマテラスも、水を絶った時点で、はっきりと自分の死を直感し、わずかに最後の旅への体力を残して歩きだしたにちがいない。どこへ行くのか。山手線にぶつかったところで、ゆっくり左折して長い坂を登っていく。おしりから赤い血が流れている。
 ボクは釈尊の最後の旅を想ったりした。八十歳を数えて釈尊は死を予感し、北に向かって旅をする。病は大腸癌だったとか。
 アマテラスも腸に癌があるから、あんなに血をおしりから流しているのだろう。立ち止まり、うずくまる。そして歩きだす。すさまじい意志の力が、ボクに伝わってきて、なんだか泣きそうになってくる。
「ボクなんかみっともなく、おろおろするばかりだったのに、あんたは本当に立派だなぁ」
 アマテラスは、とうとう坂を登りきった。あとは広い車道を横切れば、明治神宮の森にたどりつくが、車の通行が激しくて、とても渡れない。そこは信号機もないのだ。
 ボクは彼女を抱きあげようと近ずくと、アマテラスはもう車道に足を踏み入れていた。自分の力で、真っすぐ車道を横切ろうというのだ。
「停まってくれ! ストップ!」
 ボクは車道に飛び出し、疾走してくる車に向かって手をふった。ブレーキの音を鋭くたてて、車が次々に停まった。
「さあ、渡れ。渡るんだ、アマテラス」
 六十歳の奇妙な男が両手をあげて車を停め、その前を衰えいちじるしい老猫が、ヨロヨロと歩いている。
 非難のクラクションが背後で鳴っているが、知ったことか。アマテラスを抱きかかえて走れば、あっという間に渡り切れるが、彼女が命をしぼるようにして行う最後の儀式に、手をさしのべることは無礼な気がするのだ。とうとう、アマテラスは横断しきった。目の前にあるコンクリートの柵は明治神宮だ。
「さあ、お入り……」
 アマテラスは自分の体を押しこむようにして、昼なお暗い神宮の森の中に入っていった。
「そうか、ここが公園通りの猫たちの死に場所なのか」
 思わずボクは森の闇に消えていくアマテラスに合掌して、空海さんの最後の言葉を繰りかえしていた。
「生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」
 うん、立派だったよ、アマテラス ― 。

 さすが早坂暁、名文だ。