「すばる」2007年10月号は当たりだった、井上ひさしの「ロマンス」と「追悼 小田実」

 「すばる」2007年10月号に掲載されている井上ひさしの戯曲「ロマンス」を読んだ。チェホフの一生を描いたもの。一生を短い戯曲のなかに再現し成功している。これが面白いのだ。芝居は栗山民也で昨年上演された。見たかった。芝居は高いのだ。半年近く前の雑誌をなぜ今頃読んだかというと、図書館にあったのだが、誰かが借り出してなかなか返さなかったのだ。雑誌くらい借りないで買えよ、いや、そのとおり。ただ派遣の薄給ではそれがままならないのだ。
 この雑誌はもう一つ当たりがあった。特集「追悼 小田実」だ。瀬戸内寂聴の「中有の小田実へ」はとてもいい。寂聴の小説は読もうと思いながらまだ何も読んでないが、湯浅芳子を追悼した評伝「孤高の人」(ちくま文庫)(id:mmpolo:20070114)はすばらしかった。
 米谷ふみ子の「世界的英雄、近所の洟垂れ小僧」も良かった。小田実は米谷の弟の同級生で小さい頃からよく知っていた。ここで語られるエピソード。

 彼に最後に会ったのは大阪のホテルニューオオタニでだった。対談がすんで、編集者が呑みに上のラウンジに行きましょうと言ったので、小田さんがホテル内にいる私の夫のジョシュを呼べよと言った。(中略)編集者が何を思ったのか小田さんに、「小田さんの英語は大阪弁の英語ですなあ」と言ったのだ(前に私の英語は大阪弁の英語で小田さんのもそうだと言ったことがある。つまり、大阪人というものは発音とか文法とかを考慮せずに相手にこれでもかと分からせようとする。アクセントは大阪弁のアクセントだと言ったのだが)。編集者は冗談のつもりだったのだろうが、小田さんは直ちに目を吊上げて、ラウンジ中が震えるほどの大声を出し、「何やとー。英語も喋れんくせにー馬鹿にするなー」と怒り出したのだ。ああこれでなかったらベ平連もでけへんかったやろなあ、この声! 私は震え上がった。ラウンジが空っぽだったのが幸いだった。私の隣に座っている編集者の体が硬直するのが皮膚で感じられた。小田さんはそれから「米谷さんも僕も異民族と結婚していて大変な苦労をしているんやぞう。君には分からんやろがー」とか怒鳴っている。(後略)

 宮田毬栄「長い旅をつづける作家の『旅愁』」も悪くなかった。宮田はもと中央公論社の編集者。お父さんが詩人の大木敦夫、美人で作家たちから可愛がられた。小田実から「いつか、私の『旅愁』を書きます」と書かれたエアメールをもらったことがあると言う。

 (前略)日本文学の枠をはみだして行った世界的作家は、憔悴してはいたが、病床でも澄んだ明るさを失わなかった。小田さんを笑わせようと、私は話しかけた。
「小田さん、めっきり、愛を書くのが上手になりましたね。『玉砕』でも『終わらない旅』でも、女の人を素敵に書いてる」
 小田さんの薄く開いていた目が、ぱっと開かれた。
「そやろ。うまいやろ。ベッドシーンなんかも凄いもんやろ?」
「さすがよ。モテた人にしか書けないのでしょうね?」
 小田さんの嬉しそうな笑い声が病室に流れた。

 私は小田実は「何でも見てやろう」ともう1冊くらいしか読んでいない。個人的にあまり興味のある作家ではない。しかし、これらの追悼文は良い。小田実が愛され尊敬されていることが分かる。
 嵐山光三郎に「追悼の達人」という追悼文を通してみた作家論がある。もしその続編が書かれるなら、瀬戸内寂聴の「中有の小田実へ」は取り上げられるに違いない。