四方田犬彦「大島渚と日本」の連載が始まった

 四方田犬彦大島渚と日本」の連載が筑摩書房のPR誌「ちくま」2月号から始まった。これは著者によれば「貴種と流転 中上健次」「白土三平論」と並んで、日本論三部作を構成するという。
 題名の由来に、大島渚の作品名に「日本」を冠したものが少なくないとして、「日本の夜と霧」「日本春歌考」「無理心中 日本の夏」などを挙げている。「題名からも推測できるように、大島渚はつねに「日本」という観念に強い拘泥を示してきた。」
 では他の監督はどうか。

 (前略)だが彼(溝口健二)には、歴史的な観念としての日本を正面から見据え、あまつさえそれと対決しようという意識は皆無だった。もしこの監督について作家論が成り立つとすれば、それは「溝口健二と女」という題名になるだろう。
 では小津安二郎はどうだろうか。小津は今日では幾重にもノスタルジアの重い緞帳のなかに隠れてしまっていて、古きよき日本を表象する映画監督として、国の内外を問わず骨董品として賞賛されている。なるほど彼は生涯にわたって日本の小市民の日常を、その儀礼的な相に応じて描き続けた。とはいうもののそれは自明とされた安逸なる光景をめぐる、どこまでも個人的な達観の域に留まっており、日本という共同体を外部から見つめ批判するという作業とは無縁であった。(中略)彼は生涯を通して、ついに日本という観念に到達することがなかった。小津論にふさわしい題名は「小津安二郎と東京」だろう。(後略)
 黒澤明は、そして増村保造は、またもっとも新しいところで北野武はどうだろうか。彼らもまた「日本」という範例のもとに論じることができない。もし「七人の侍」の監督に対し主題的な一貫性に焦点を当てた作家論が成り立つとすれば、それは「黒澤明と問題」という題名となるはずである。黒澤のフィルムでは、登場人物たちは唾を飛ばしながら、真に重要な問題とは何かをめぐって議論を続けている。「生きる」でも、「七人の侍」でも、さらに晩年の「乱」においても、彼らは最初、誤って設定された問題に拘泥するあまり不毛な試行錯誤を重ねる。やがて真実の問題が提示された時点で、フィルムは物語的帰結を迎え、後には無常観だけが残されることになる。増村の場合、黒澤の問題に匹敵するのは情熱である。「増村保造と情熱」、もうこれ以外に来るべき増村論の題名はない。(後略)
 最後に北野武の場合はどうだろうか。(中略)だが北野は自作のなかで日本と向かい合うことはない。彼が描く登場人物は常に個人であり、日本と呼ばれる共同体をめぐって愛も憎悪も示そうとしない。俳優としてのビートたけしはさておき、映画監督としての彼は本来的にコスモポリタンであり、日本という問題体系と遭遇することがない。ひところフランスで作家主義を標榜する評論家が、映画監督は個々の国籍とは無関係に、映画という共和国に属しているのだという脳天気な主張をしたことがあった。おそらく北野はこの共和国の、最後の理想的な住人だろう。

 四方田犬彦の簡略な監督論が面白い。「大島渚と日本」「溝口健二と女」「小津安二郎と東京」「黒澤明と問題」「増村保造と情熱」なんだ。