村上春樹の小説を長谷川龍生が体験していた


東京奇譚集 (新潮文庫)
 村上春樹の短編「どこであれそれが見つかりそうな場所で」(「東京奇譚集」所収)は失踪した夫の捜索を依頼された探偵の物語だ。探偵とはいっても報酬を受け取らない個人的ボランティアだが。
 夫はある日妻と住むマンションの26階の部屋から夫の母親の住む24階の部屋に行き、しばらくしてこれから戻るからと電話を入れたまま行方不明となる。結局20日後に仙台駅の待合室のベンチで寝ているところを警察に保護される。無一文で20日分の記憶を無くしたまま。
 この物語は長谷川龍生の「虎」という長編詩を思い出させる。長谷川はシュールレアリスムの詩人。「虎」には作家自身の解説が附されている。

 1958年9月23日・ぼくは仕事のあとの昼睡から目が覚めた。身体じゅうから異常な悪臭がたちのぼっていた。前日から飯類のかわりに、鍋いっぱいに煮つめてある蛤ばかりを食べていたせいかもしれない。(中略)代々木病院御庄博実先生に診察してもらおうと思った。(中略)そこで、家を出て、一路永福町の駅に向かった、その途中、とつぜん、ぼくはぼくを忘れてしまったのである。もちろん正常な意識を喪失してしまったことはいうまでもない。よくよく記憶の糸をしぼっていってみると、一匹のグレート・デン種のような犬が、金あみ越しに猛烈にほえたてており、その後方で、うすぼんやりした邸宅の女のひとが、それを制していたのを覚えているが、あとが判らない。何処をどうしてほっつき歩いたのか、何を喰って、何の行為をし、何処で宿泊したのか全く判らない。
 9月26日の午ごろ・東京羽田空港の公安室でぼくは保護されていた。ホノルル経由サンフランシスコ行の旅客機に国電のチケットを見せて乗ろうとしたらしいのである。そこを連行された。あとで空港保安官の語るところによれば、服装が新しいに拘わらず泥でよごれており余りひどいので、朝からずっと注意監視されていた。その上、十分ごとにトイレットへ通い、待合所のソファーで、さかんに筆記したり、エア・フランスの案内受付へいって奇怪な外国語で何か訊問をつづけ、其処の人を大いに困らせていたとのこと。
(中略)家内は、「また、病気ね」とひと言いっただけである。(中略)次頁の詩みたいなものは、その三日間に走りがきされたものである。(後略)

 その「虎」という詩の冒頭2連、とても錯乱して書いたとは思えない。

   1
泪もろい
ああ 泪もろい
はらはらと泪がこぼれる。
路をあるいている時
電車にのっている時
ひとり ベンチにねそべっている時。


おれは、恐怖王
ああ どうして、
単純、残忍、無償殺人者、
夜の路をすれちがっていった人
電車の連結器にのっかっている人
なんでもなく平凡に生きている人
おれは殺す


   2
虎、はしる
虎、はしる
生きものが、すべて弱く
ひしめいて死んでいく冬の野づら
電線のとぎれている砂漠のはてから
鉄道のとぎれている荒地のはてまで
吹きながしている風の帯のかなた、
いちばん遠い獲ものをめがけ
蹴立てる爪 蹴立てていく現実
城をこえ、湖をふかくくぐり
禿げ山をかけ上り下り
虎、はしる
虎、はしる

 「虎」は18連333行のみごとな長編詩だ。
 いや現実にこんなことがあるのだから、村上春樹の短編もそんなに奇譚ではないのかもしれない。