昭和万葉集と堕落論

 1980年頃、講談社が創立何十周年記念とかで「昭和万葉集」なるものを企画した。既刊歌集、雑誌はもとより一般からも短歌を募集して膨大なアンソロジーを編集出版した。私はその内の戦争詠を読んだのだったか、一番気に入った短歌が成島やす子の次の歌だった。

さがし物ありと誘い夜の蔵に明日往く夫は吾を抱きしむ

 戦中の環境は夫婦の愛の自然な発露も許さなかったのだ。往った夫は帰って来なかったのだろう。


 しかし、その後に坂口安吾の「堕落論」が来る。

 人間。戦争がどんなすさまじい破壊と運命をもって向うにしても人間自体をどう為しうるものでもない。戦争は終った。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか。人間は変りはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。

 私が初めて山本弘に会ったとき、「堕落論」を読めと言った。
 さて、人生の真実は石井隆樹村みのりが併存しているところにあると思う。