多木浩二「肖像写真」を読む、思わぬ収穫!

肖像写真―時代のまなざし (岩波新書)
 多木浩二「肖像写真ーー時代のまなざし」(岩波新書)を読む。そんなに期待していなかったのにこれは思わぬ収穫だった。多木はこの本で3人の写真家、19世紀後半のナダール、20世紀前半のザンダー、20世紀後半に活躍したアヴェドンを取り上げ、それぞれ「ブルジョワの理想」「20世紀の全体像をめざして」「パフォーマンスの真実」と題する章をあてる。
 ナダールが撮影した肖像写真が紹介されている。ド・ネルヴァル、ゴーティエ、ボードレールアレクサンドル・デュマドラクロワ、マネ、コロー、ドーミエクールベ、ドーデ、オッフェンバックロッシーニベルリオーズミシュレバクーニンプルードン、彼らをスタジオの単純なバックの前で撮っている。
 ザンダーの撮影した人々は、小説のタイトルにもなった「舞踏会へ向かう3人の農夫」を始め、コーラス優勝チーム、村の楽隊、カード遊びをする農夫たち、小都市のブルジョワ家族、屋根葺き職人、税関吏、郵便配達夫、農民の花嫁、革命家たち、ナチ親衛隊員、神学者カール・バルト、哲学者マックス・シェーラー、作曲家ヒンデミット、指揮者フルトヴェングラー等々。ザンダーは世界の人間を網羅しようとした。

 かなりの分量の写真が蓄積されたところで、多くの写真を構造化する段階がくる。まず分類しなければならない。ザンダーは全体のイメージを七つのグループに分け、そのグループのなかをさらに細分し、40ばかりのファイルをつくった。(中略)とりあえず七つのグループだけを挙げておこう。
(1) 農民「基本ファイル」
(2) 職人、手工業者
(3) 女性
(4) 諸身分
(5) 芸術家
(6) 大都市
(7) 最後の人間

 これはボルヘスの引用する「シナの百科事典」の分類を思わせる。
 アヴェドンの撮影例は、元奴隷キャスビーから始まって、トルーマン・カポーティ「冷血」の殺人者ディック・ヒコックとその父親、ウィンザー公夫妻、作家アイザック・ディネーセン、詩人エズラ・パウンドジャン・ジュネ、20世紀最大の美術家マルセル・デュシャンアイゼンハワーキッシンジャーボルヘスベケットフランシス・ベーコン、ナパーム弾の犠牲者、放浪者、死につつあるアヴェドンの父親、これまた興味深い人々だ。
 ディネーセン(本名カレン・ブリクセン)に会ったときのエピソード。

ホテルで待っているアヴェドンの前に、カレンは細い体躯に大きな毛皮のコートをまとって現れた。いきなり「私はリア王についてどう考えているかによってその人を判断するの」と言った。アヴェドンはすくんでしまった。

 ディネーセンは「アフリカの日々」(映画化されて「愛と哀しみの果て」)を書いた作家。すばらしい映画「バベットの晩餐会」の原作者である。
 最後に多木浩二は書く。「写真のまなざしは記述できない歴史の無意識に到達しうるということであり、それは時代によって異なるということなのだ。」
 多木浩二は卓抜なアンセルム・キーファー論「シジフォスの笑い」の著者なのだ。それにしてもここに紹介されているナダール、ザンダー、アヴェドンの写真集の実物を見たくなった。アヴェドンだけは30年ほど前池袋のセゾン美術館で写真展を見たことがあったが。主にフリークスを撮った写真展だった記憶がある。