要するに文化の違いにすぎないのだ

 誰が書いていたのか、太平洋戦争で日本の捕虜になったイギリス兵が、日本軍から木の根を食べさせられた、捕虜虐待だと訴えた。それはゴボウの料理のことだった。
 こちらはロシア語同時通訳者にして作家・エッセイストの米原万里が書いていたのか、それとも長くシベリアに抑留されていた画家の香月泰男が書いていたのか、戦後シベリアで捕虜になっていた日本人たちにはトイレの紙が与えられなかった。捕虜だから冷遇されているのかと諦めていたら、日本人捕虜のトイレで「大」をしたソヴィエト軍の兵士も紙を使わなかった。そういう文化だったのだ。


緑の影、白い鯨
 ついでに「華氏451度」「火星年代記」「たんぽぽのお酒」で有名なSF作家レイ・ブラッドベリのエッセイ「緑の影、白い鯨」(筑摩書房)から。ブラッドベリは戦後、アメリカの映画監督ジョン・ヒューストンに招かれて、監督とともにアイルランドメルヴィルの「白鯨」を映画化するためにシナリオを書いていた。監督はとてつもないキャラクターでブラッドベリは振り回され文字通り泣かされるが、その時馴染んだパブのアイルランド人たちに慰められる。次はそのアイルランド人たちとの会話。

「俺たちには啓蒙が必要ってわけさ。なにしろ俺たちアイルランド人は徹底して不潔だからな。郵便局で列に並んだことあるか?」
「郵便局? ありますよ」私は鼻にしわを寄せた。
「汚い豚小屋を歩いている気分がしなかったか?」
「そうですね……」
「そうだって言えよ! 俺たち平均的アイルランド人は冬の真中ごろには、もう何ヶ月も服を替えていないし、風呂にも入っていない。クリスマスの頃には靴のなかもひどいことになっている。正月を迎える頃には腋の下も垢だらけ、電球を埋め込むことだって出来る。二月のイースターの朝には、むこうずねからペニシリンが取れる」

 かく言う私だって二十歳の頃は風呂に入るのは月に1回だったし、名前は秘すが多分いまだに年に1回しか入らない親しい友人がいる。