人は何を見に行くのか

 映画や芝居に人は何を見に行くのだろう。以前木冬社の公演には平幹二朗が客演していた。客席はいつも満員だった。木冬社の主宰者兼脚本家の清水邦夫の芝居は長い台詞が多い。木冬社の女優松本典子平幹二朗の舞台での長いモノローグを聞くことは、まるでオペラのアリアを聴いているような心地よさだった。残念なことにある年から平幹二朗の客演はなくなった。とたんに客席の半分が空になった。みな平幹二朗目当てだったのだ。
 恩地日出夫の監督作品「わらびのこう」の試写会のチケットをもらって東映本社の試写室で見たことがある。村田喜代子の原作を映画化したものだが、簡単に言えば「楢山節考」の山形県版だ。60歳になった老人達が蕨野という山奥へ移って食糧のない中を皆死んでいくという暗い話だ。市原悦子とか中原ひとみとかが主演しているが、みな老け役で汚く作っている。この映画ヒットしなかった。無理もない、暗いし役者が汚いし。
 人は皆きれいな女優や男優を見に行くのだ。作品なんて糞食らえってなもんだ。