渇望の記憶

 高校へ入って初めて本格的なSFを知った。レイ・ブラッドベリ「火星人記録(現在の火星年代記)」、ロバート・シェクリー「人間の手がまだ触れない」、アーサー・C. クラーク「幼年期の終わり」「都市と星」、ロバート・A. ハインライン人形使い」、こんなに面白い世界があるのか。夢中になって読んだ。もっともっと読みたいと思った。しかし、もうポケット・ミステリの体裁で銀色の背表紙のハヤカワ・SF・シリーズがたくさん刊行されていたが、高校の図書館にも飯田市の図書館にもほとんど入っていなかった。その頃、高校の同級生が俺の東京の従兄弟の家にはハヤカワ・SF・シリーズがいっぱいあるんだぜと言った。本棚にそれがずらっと並んでいるのを想像した。読みたいと思った。その思いは「渇望」と言っていいほどだった。
 次の渇望の記憶はその2、3年後だ。20歳の時渋谷のエンパイアというキャバレーに勤めていた。力道山のリキパレスがあった建物とかですごく大きかった。ホステス700人、ウェイター70人、メンバー70人という巨大キャバレーだ。ウェイターの仕事は飲食物の注文を受け運ぶ役、メンバーはホステスの手配をしていた。ある時ホステスからオーダーの紙を渡されたがそれには「2−3」と書かれていた。このツースリーって何ですか? バカねえ、コーラよ。なるほど書き殴ってあるので数字に見えたのだ。バーテンが働いているところ(何て言ったっけ、キッチン? カウンター? もう40年も前の記憶だ)へ行って、ツースリー一つと注文した。バーテンがそれは何だと言うから、カクテルですよ、ジンを使ったと答えると、ほう、やっぱりベースはジンか。すみません、コーラですと謝った。
 少しばかり先輩のウェイターが始業前にそこの更衣室で写真集を見せてくれた。文庫本より一回り大きいくらいの白黒の写真集だ。スウェーデンのもので1ページに一人全裸の娘たちが正面を向いて写っている。せいぜい20ページほどではなかったか。生まれて初めて女性の陰毛を見た。その写真集が限りなくほしかった。渇望した。40年経ったいまでもその映像を忘れない。
 陰毛という言葉がヘアーに変わったのは、おそらくアメリカのミュージカル「ヘアー」が日本で上演されてからではなかったか。それからも長くヘアーを見せることは厳禁された。解禁されたのはここ10年ばかりではないかと思う。すると当時あれほど渇望したヘアーが今では単なる毛に過ぎなくなっていた。髪の毛と変わらないのだ。
 さて、これらのエピソードが教えることは、渇望=欲求は禁止と強く結びついているということだ。恋愛も同じかもしれない。