山本弘の写真

 山本さん、写真撮らせてくださいと言うと、それまでシャツ1枚だったのが浴衣に着替えてきた。アパートへ続く坂道の側壁がコンクリートでできていて、そこにツタが絡まっている。その壁の前に立ってここで撮れと言う。この時画家山本弘43歳、1973年の9月だった。前年の日本アンデパンダン展に出品した「日だまり」50号を見た見知らぬ人から、10万円で買いたいと連絡があったが、俺の絵は売り物じゃないと断った。その年の私の初任給が4万3千円だったから、今で言えば50万円ほどか。後日、貧乏な山本家の家計を預かる愛子夫人から、とても悲しかったと聞いた。
 山本弘は意外にシャイな人で、素面で外出したり人に会うことはなかった。必ず酒が入っていた。たくさん飲むのでひどく酔っぱらい、怒ったり泣いたり絡んだりした。ろれつも回らなくだらしがなかった。よれよれでぐじゃぐじゃだった。飯田市民はだから山本弘をそんな風にしか見ていなかった。
 東京で遺作展が開かれた折り、個展のパンフレットにこの写真が掲載された。それを見た山本弘を知っている人たちが皆、え、山本弘ってこんなにいい男だったの? と驚いたという。
 山本弘の絵を気に入ってくれた飯田市美術博物館の初代館長井上正さんが、同館に山本弘の油彩を50点収蔵してくれた。ただしすべて寄贈という扱いで。未亡人には感謝状と金杯が渡され、飯田市長との会食の場が設けられた。愛子さん、どんな料理だった? 普通の仕出しのお弁当よ。
 残念なことに美術館を仕切っているのは奈良の大学から月に1回だけ顔を出す館長ではなく、行政から派遣されている副館長のようだった。約束された個展は一度も開かれていない。副館長に対してぜひ山本弘の個展を企画してほしいと希望を述べた。美術館は市民の税金で運営されている、山本さんの個展に税金を使ったら市民が納得しないだろう。なんであんなアル中の酔っぱらいのために税金を使わなければならないのか。


 山本弘はアル中の酔っぱらいではない。すっくと立つ1本の銀杏の樹だ。私は悲しい。
 写真は山本弘「銀杏」