自己評価はなぜ難しいのだろう

 40年ぶりに小学校の同級会に出席した女性が、当時同級生たちが見ていた自分の姿と、自己認識とがあまりに違っていて驚いたと言う。
 彼女は女ばかりの5人姉妹の末っ子で、優秀な姉たちに比べて自分は出来が悪く、それでなくても5人姉妹でお金がかかるので、ほしいものがあっても買ってと言えずに我慢していた。学校では目立たない存在だったと思う。公立小学校から私立中学へ進んだ時、もう小学校時代の自分を知っている友だちが誰もいないと考えて開放感を味わったという。
 ところが同級生たちの認識は反対だった。お父さんは高級官僚、雨の日は学校まで運転手付きの自家用車が送り迎えをしてくれるセレブなお嬢様。勉強ができて何不自由ない美少女だった。住んでいたところが千代田区一番町の官舎、通っていた小学校が番町小学校だった。
 私は彼女が成人してから知り合ったのだが、美人で聡明で育ちの良さが明かな上品な女性だった。意志も強く実行力もあり、理想的な女性だと言える。だから彼女の小学校時代の評価については同級生たちの方が正しいだろう。


 別の男性は、自分は貸したものは忘れてしまうが借りたものは決して忘れないと豪語していた。ところが彼は同僚が買ったばかりのビデオカメラを強引に借りて何年も返さなかったり、人が貸した何冊もの本も返さなかった。オレは傘を持ち歩かない、雨が降ったらそこらへんにある傘を使い、晴れたらそのへんに捨ててくるのだと威張っていた。それって泥棒じゃんと言ったら黙ってしまったが。彼がものを貸した話は聞いたことがないので、貸したものは忘れてしまうと言うのが本当かは確認できなかった。
 どうしてそんなに高い自己評価ができてしまうのだろう。