映画カメラマンの不思議な常識

 映画監督の今村昌平と仕事をしたカメラマンSさんの話を聞いたことがある。彼は「神々の深き欲望」でカメラマンをした。何人ものカメラマンがいて、何番目の階級かは聞き漏らした。日本では末端の助手から始まってだんだん出世していく。最初は三脚運びの役だが最後はチーフカメラマンになれる。これがアメリカでは助手は一生助手で、カメラマンにはなれないのだと教えてくれた。
 さて、「神々の深き欲望」で奄美諸島へロケをしたときのこと、今村監督の気に入る天候になかなかならなくて、何日も天気待ちだった。その間スタッフはもちろん俳優もずっと待機している。経費がどんどんかさんでいく。ようやく待っていた天候になって、ぶじ撮影が終わった。俳優たちは東京へ帰って行った。その後で肝心の撮影済みのフィルムがなくなったことに気づいて大騒ぎになった。もしかしたら俳優たちも呼び寄せて撮影のやり直しになるかもしれない。
 その時カメラマンたち撮影班の部屋から無くしたと思ったフィルムが出てきた。カメラマンたちが協議したが捨てようという意見が圧倒的だった。無くしたフィルムが自分たちのところにあったなんて面子が立たないという。しかしSさんが自分が返してくると言って持っていったのだという。
 何年かたってこの話を別のカメラマンにした。Nさんという責任感の強い人だ。常識もある。その人がそのフィルムは捨てるべきだったと言った。撮影済みフィルムは命のように大切なものだ。それを無くして実は自分たちの所にありましたなんて、絶対に言うべきではない。捨てるべきだったと。
 映画人たちの不思議な常識を知った。