朝日歌壇に掲載された坂口弘の短歌 II(1992年)

朝日歌壇に掲載された坂口弘の短歌、その2、1992年分。

【1992年】
(1〜3月)
覚悟せしにまたも延びたる命なり補充書提出期限延長さる
リズムよく鉄扉の向こうで箒掃く音優しくてペンを擱くなり
永久に輝くこと無き過去なれば仄かな影を著しくせん
少年は泣き叫ぶ「総括」などしたって誰も助からなかったじゃないか
初雪の降りて納めの手紙を出し年始の明けまで獄門は閉ず
落葉見れば落葉踏み分け亡骸を運びし夜の榛名山を想う
なぜ吾の解明努力を君達は認めないのだ同志殺害の
夢のなか母の手首をわが手もて握れば吾より太くありたり
牢に住み目を守れるは目を回す体操のおかげ筋みしみし鳴る
わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり
山荘事件を書きいる紙に映りたる格子の影に陽炎立てり
雪晴れて格子の雫星のごと輝きくるる吾に一瞬
済まないと風呂に入るたび詫びるなり裸で埋めし亡き同志らに
ああやはり転びバテレンは年老いて告白せりと続編にある
ドア破り銃突出して押入れば美貌の婦人呆然と居き
牢に来し君の手紙に謝するなり真剣に生きんとありぬ
(4〜6月)
獄の春手紙を書けば手袋を脱ぎしわが手のみずみずしさよ
山荘でニクソン訪中のテレビ観き時代に遅れ銃を撃ちたり
外に出れば女区の桜咲き満てり仕置場望み房に帰らん
歌詠めば豊けくなりて何ものも生まず壊しし武闘を思う
房ごもりつづく連休近づけば庵で蠅とる歌口ずさむ
活動を始めし日より諫められ諫められつつ母を泣かせ来ぬ
(7〜9月)
この年も鈴蘭見せに面会に君来給いぬ夏立ちにけり
獄廊に手錠と足の音のせり裁判に行かずなりて久しも
二冊目の上申書を今日書き終えぬ歌は償いの一部と記して
あと十年生きるは無理と言う母をわれの余命と比べ見詰めつ
つゆ寒の獄舎の夕べラジオより君の名流るリクエスト曲
事件をば書く手休めてしばしおり呼吸の数に時をはかりて
死の記録書きつつおれば夏草を刈りたる臭い房に満ち来ぬ
にわとりの小屋と呼ばるる運動場に覗きて咲ける薊いとしも
向日葵の写真はしまい花をまた買わん人屋に涼風吹けば
(10〜11月)
獄蒲にて満ちて微睡むひと時よきょう良き本に吾は出会いぬ
リンチにて同志の逝きし場面なり気持新たに明日書くべし
長男が悲しき姿で夢に出しと遺族の方の便りにありき
運動場へ野菊の花を見に行かんリンチの筆記に心乾きて
エル・ニーニョ終りて寒くなるらしき未決最後の冬を迎える
革命の功罪閲する世紀末十月革命も危うく見えて
その前に武闘を精算しておれば奪還指名をわれは拒みき
判決は如何にありとも掘り下げし弁護書面に救わるる思い

 坂口は短歌にあるように山荘事件を書いて出版した。途中、獄中から出版社に送った原稿の後半が届かないという事件があった。どこに消えてしまったのか分からない。獄中ということもあってコピーは取っていなかった。出版社は前半の原稿だけで出版する。坂口は改めて書き直し後日続編として出版された。浅間山荘事件を描いた立松和平光の雨」は駄作だった。
坂口弘坂口弘 歌稿」(朝日新聞社
坂口弘あさま山荘1972 (上)(下)(続)」(彩流社