朝日歌壇に掲載された坂口弘の短歌 I(〜1991年)

 1991年の1月20日朝日新聞の短歌投稿欄「朝日歌壇」で後述の「クリスマス・イブに保釈で出でし日が岐路にてありき武闘に染みて」を読んで、作者の坂口弘連合赤軍浅間山荘の坂口弘ではないかと気づいた。それで古い新聞を調べてみたが、1991年以前はあまり見つけられなかった。それ以来注意したので、1991年以降はほとんど遺漏はないと思う。坂口はその後歌集も出版したが、ここではは朝日歌壇に掲載されたものだけを集めている。
 1992年暮れに死刑判決が確定し、それ以後外部へ手紙を出すことが禁じられ、1992年11月15日の掲載が最後になった。
 外務省のラスプーチンこと佐藤優が小菅の刑務所に入っているとき坂口の房と隣り合って、そのことを「国家の罠」に書いている(id:mmpolo:20061227)。佐藤は出所後坂口のお母さんに手紙を書いたとこれもどこかで読んだ。

【1991年以前】
リンチせし者ら自ら総括す檸檬の滓を搾るがごとく
思い余り総括の意味を問いしとぞ惨殺される前夜に彼は


【1991年】(1〜3月)
この冬の寒くなれかし雪降らばリンチの記憶鮮やかにならむ
クリスマス・イブに保釈で出でし日が岐路にてありき武闘に染みて
元旦のあの日は小屋に小雪降り総括の惨吹き荒みたり
総括をされて死ねるかえいままよと吾は罪なき友を刺したり
(4〜6月)
二審にて述ぶるに備え独房にこもりし日日の菜種梅雨どき
過ちを正すレーニンの教えをば全うするは身をも切ること
ひと冬を補充書作りに傾けて彼岸に入りぬ腕立て伏せをす
武闘には意義ありたりと君は言う二十年経て変わらざりけり
壁のほこりを落として房に春を呼びこれより書かむ山荘事件を
あかつきの獄のさ庭に小揺ぎし桜艶めく春のめぐり来
きそ読みし折々のうたの蘇生歌をけさ口ずさむ明日もさあらむ
そのむかし易者が吾をいぶかりておりたりと言いぬ面会の母が
獄蒲のべてふと寂しみぬ独り寝を十九年余重ねしを思いて
逆立ちをして今日のみの運動を楽しみており獄の連休
われら武闘合目的にあらざりき沖縄返還の闘いにおいて
面会所裏のつつじを抜きしは誰ならむわりなきを悔やむ西行がごと
走り梅雨来りて房に古びたる訴訟記録の臭いこもれり
吾を外に出してゆくての花花を見せむと君は面会に来しや
新しき週のはじめに吾が房の便器洗えばこころ清しも
(7〜9月)
紅衛兵たりし人の本を読みおれば身につまさるる極左の惨
九年前われの新生はじまりぬ死刑判決ありたるこの日
獄に咲く石榴(ざくろ)の花見むと病いつわり医務室へゆかむか
人屋にて日のおおかたを座しおれば脚立て伏せの技編み出しぬ
今われが切りたる爪を黒蟻が運びゆきたり獄のグラウンド
憂きつゆも今年ばかりは長かれと願えり最後の補充書書きて
熱き湯に浸りて風呂を出でにけりつゆ寒くして舎房の暗く
原始なる海をゆったり泳ぎいし夢から覚めて充足があり
亡き夫もリンチに加担していますかと夫人が迫りぬ真夏の面会
外廊下を歩みガラス戸の前に来て老けし中年のわれに驚く
振り向けば窓と格子のあわいにて猫が見ており行きて頬寄す
そこのみが時間の淀みあるごとし通路のはての格子戸のきわ
社会主義破れて淋しさびしかり資本主義に理想はありや
紙を滑る筆ペンの音の心地よさよ房にも秋はひそやかに来ぬ
疎まるるも堅物に吾はなりにけり連合赤軍の品位たもつと
(10〜12月)
始発電車の音する前の真夜中のわが魂遊べる獄の平安
とどまれる秋雨ぜんせん房暗く少年のころふと思い出ず
房より見る箱ほどの空にありたるに仲秋の月見過ごしにけり
身に近くおみなあるさま木犀の香り漂い獄も華やぐ
この手紙あす福岡に着くという不思議を思う獄よりの速達
歩きつつ盗み見すれば独房で物書く被告の姿よろしき
枯るる前茎断ち切りて看視を避けカーネーションを胸に押しおり
十数年ぶりに手にせし労働の果実稿料よ獄に昂ぶる
そを見ればこころ鎮まる夜の星を見られずなりぬ展房ありて
被告なれど生ける吾が身はありがたし亡き同志らの言えざるを思えば
反派兵デモの後尾に寄り沿わん小菅を去れるものならばすぐ
四十四の歳よさらばと人屋にて桶の張り水に顔を映し見る
検診後噛み締めており御大事にと獄医の掛けたる言葉を幾度も