西洋音楽は普遍的な音楽か

mmpolo2007-05-26




 龍村仁監督の映画「地球交響曲第6番」を見た。インドの音楽家ラヴィ・シャンカールアメリカのピアニスト、ケリー・ヨスト、アメリカの海洋生物学者ロジャー・ペインへのインタビューで構成されている。ロジャー・ペインは鯨の保護活動をしていて、鯨の声を録音し分析している。驚いたことに鯨は歌を歌っていると言う。その録音を流しながら、鯨の歌はソナタ形式を持っており、ソナタ形式は人間に特有のものではなく、太古から鯨のものでもある、と西洋音楽があたかも普遍的であるように語っている。
 アフリカのヌビアの音楽家ハムザ・エルディーンの自伝「ナイルの流れのように」(ちくまプリマーブックス)を読んだことがある。彼は初めてヨーロッパのオーケストラを聴いたとき、演奏が終わったことを理解しないで、今のは音合わせで演奏はこれから始まるのだと思ったという。
 その「ナイルの流れのように」から。

 学校の中で開かれた音楽会で、西洋音楽を初めて聞いた。そのコンサートの会場では、音楽家たちはステージの上にいて、聞く人たちは客席にいた(エジプトやヌビアでは、たいらなところに音楽家がすわり、聞く人たちがそのまわりを取りかこむ)。いちばんあとでステージに出てきた人は、しっぽがふたつついた黒い長いコートを着ていて、お客さんのほうに背中をむけて小さな棒をふりはじめた。お客さんに背中をむけるとは、なんてマナーの悪い人なんだろう。でもお客さんたちは急に静かになり、音楽家たちはそれぞれバラバラに楽器を鳴らし始めた。私は楽器の音をためしているのだろうと思っていた。しばらくすると私のまわりの人たちが拍手をした。そんなことが3回、くりかえされた。となりにすわっていた人に、「演奏はまだ始まらないんですか?」と聞いてみた。「もう3曲やりましたよ」。私は、「ヘタなじょうだんで、失礼しました」とあやまった。これが西洋音楽ってものなのだ。

 ハムザ・エルディーンはスーダンの生まれ、アラブ伝統楽器ウードの演奏者で日本にも滞在していた。現代音楽を演奏しているクロノス・カルテットとの合奏をテレビで見たことがある。彼の作曲した「エスカレイ(ナイルの水車)」という曲をクロノス・カルテットが演奏している。
 さて、西洋音楽が普遍的な音楽だと考えるのは明らかに間違っている。
西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)


 ちょっと話がぶれるが、西洋音楽の歴史については、岡田暁生西洋音楽史」(中公新書)が圧倒的に面白い。こんな小さな本でみごとに通史を書ききっている。