なぜ出雲のタケミナカタが諏訪に逃げ込んだのか

 今井野菊によれば諏訪に伝わる古い伝説に石への信仰がある。ご神体を「みじゃくじ」と呼び、石神井(しゃくじい)もその系譜だと言う。尖った石がご神体で、諏訪地方が信仰の中心だが、遠く関東の東京都練馬区石神井まで影響があった。ところが越(こし)の神様と戦争して破れたと言う。ただ政権は奪われたものの神社は存続し信仰は継続したようだ。(今井野菊「神々の里ー古代諏訪物語」:国書刊行会)。これについては中沢新一「精霊の王」(講談社)でも言及されている。
 これとは別に天照大神から国譲りを要求された出雲の大国主神は結論を息子たちに任せ、息子の一人事代主神コトシロヌシ)は国譲りに同意した後、海に入り(自殺)、もう一人の息子建御名方神タケミナカタ)は国譲りを拒否して長野県の諏訪まで逃げ、そこで追ってきた建御雷神(タケミカズチ)に平定される。なぜタケミナカタは出雲から諏訪まで逃げたのか。これはいかにも唐突ではないか。
 古田武彦はこう説明する。出雲には国引き神話が残っている。出雲は国が小さかったので新羅を始め越や他の地方から綱と杭で国を引いてきた。このことの意味は、金属器が伝わる前(石器時代)に新羅や越の国を領土にしたことの反映だと言う。道具が綱と杭だから石器時代の話なのだ。
 これらのことから、国譲りが行われた時には、越は出雲の支配下にあり、諏訪はその越の支配下にあったことが想像できる。諏訪は出雲の配下だったのだ。そう考えると出雲から諏訪にタケミナカタが逃げ込んだのも不思議ではなくなる。